「代々木上原の外国人/ゲイは質がいい」 ひとに優劣をつけ、悪ノリで誤魔化すことのおぞましさ

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「TOKYOWISE」より(※引用発言箇所は現在削除済み)

TOKYOWISE」より(※引用発言箇所は現在削除済み)

先日Twitterのタイムラインにあるウェブ記事へのリンクが流れ込んできた。何の気なしにクリックして読んでみたところ、途中から唖然とし、その後しばらく気持ち悪さがぬぐえなかった。

・THE オシャレタウン 「代々木上原」の真実

昨年10月に「東京カレンダー」のウェブで始まった、年齢を重ねるごとに東京を転々と引っ越していく架空の人物・綾の視点を通し、各回ごとに住んでいる街について語るエッセイ風の連載が注目を浴びていた。リンク先の記事は、「上原在住歴25年の辛口スタイリスト、ふちがみゆうき氏」と共に代々木上原を巡り、東カレ連載のように「面白がって街をこきおろしたりアゲたりして紹介する」という程度のノリで書かれたものだ。

今回問題にしたいのは、そういった悪ノリについて、ではない。上原を褒めるため突如として引き合いに出された、

「上原に住んでいる外国人は質がいい」
「上原のゲイは質がいい」

という文言だ。わたしは、この一文を読んだとき、自分の内の喉の肉から粘液がいつまでも剥がれないような、不快が止まなかった。外国人とゲイを外部から優劣で価値付けるこの言葉を改めて打ち込んでみると、おぞましさに身悶えする。出自、人種、性別など変えようのない属性をもとに貶めるのは、明らかに差別表現だ。

しかし、Twitterで検索をしてみると、この表現が問題にされている様子はほとんどないことにも驚いた。この発言の何か問題なのか、まとめてみたいと思う。

無邪気さで誤魔化された暴力

この言葉を吐いたのはふちがみ氏である。辛口と修飾されているくらいだから、この上原紹介コラムにおける氏の役割は明確で、記事そのものの悪ノリを肯定するためのご意見番として登板されている。

記事を読んでいると、ふちがみ氏の発言のなかには「代々木上原に住む優越感」がうかがえる。例えば、ライターとふちがみ氏の待ち合わせ場所である、昨年オープンしたばかりのカフェを「浮ついた感じの店」と評し、セレクトされた食材を指して「アホな女子がすぐに飛びつきそう」と罵り、「周りを見てみなよ。ここにいるのは全員よそ者だね」と来客を外見で断罪しているのだから。しかし、こういったふちがみ氏の発言は持論と推測の域を出ない、直感的な「感想」に過ぎない。

この記事では「オシャレ」「品の良さ」「勝ち組感」といった代々木上原に対するイメージへの対抗勢力としてふちがみ氏が置かれながらも、結論としては住民側(ふちがみ氏)の意見を盾に上原を持ち上げるという構図になっており、むしろ外部からの評価を徹底的に排除するような特権意識がうかがえる、他愛もない与太話として読める。

しかし、上記で引用した「質のいい外国人/ゲイ」という表現は、たとえ他愛のない与太話であったとしても冗談だと済ませられない。この表現には「質の悪い外国人/ゲイ」と評される存在が貼り付いているのだから。

実際、

「中野に住んでるゲイとはなんか違う。NYでもチェルシーに住んでるゲイは質がいいのと同じで、上原のゲイは質がいい」

と、ふちがみ氏は比較し、優劣を断じている。上原に住むゲイ対して中野に住むゲイはセンスが悪い、とでも言いたいのだろうか。

どの立場で言っているのか、他人を物のように扱っているのにもかかわらず、この記事から立ち上がってくる気配はあくまでも無邪気で、差別に対して無自覚で、だからこそ暴力的な浅慮だと言える。

個人が選民思想を持つことは自由だとしても…

近ごろ、「LGBT」という、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーそれぞれの頭文字を取り、性的マイノリティを指す呼称がメディアでもよく見られるようになった。

「LGBT」とひとくくりにされているが、LGBは性的指向を基に、Tはジェンダーアイデンティティ=性自認を基にした呼称である。それぞれ異なる立場であり、抱えている問題は異なる。また、インターセックス(性分化疾患:I)や、ここで詳しく説明する字幅はないのだけど、Q=クィア、クエスチョニングといった立場にある人々も存在する。「LGBT」といってもその内実は多様で、さらに「LGBT」だけでは説明し切れない多様な性のあり方が存在するのだ。

そして、ふちがみ氏が吐いたような言葉は、わたしの周りの性的マイノリティの当事者のあいだでも耳にした経験があるし、外国人のなかでも同国籍の人間を貶める人はいる。つまり、マイノリティとされる集団のなかでも分断があり、個々に違いがあって、優劣を付け合う人々もいる、ということだ。単純に「外国人/ゲイ」のなかでも、上原に住む者もいれば中野に住む者もいるし、東京にいる者も地方都市に住む者もおり、様々な人間が多種多様な背景を抱えており、それぞれの生き方をしているという当然のことが見失なわれがちだ。

(わたしには不快なのだけど)個人の生活で選民思想的な意識を持つことは自由だし、個人的な会話での侮蔑的な軽口を制限する権利は誰にもなく、どうしようもできない。だが、メディアに掲載される影響力を鑑みると、個人的な好き嫌いを語ったり、個人同士のやりとりのなかで優劣を付け合うのとはわけがちがい、問題だと言える。

「コメントする立場にない」という責任逃れ

侮蔑以外のなにものでもない表現をそのまま掲載したメディア、編集者、ライターの責任も問いたい。わたしは差別表現を掲載してはいけないと言いたいわけでは決してない。広く公に対して世界や人間について扱うメディア上ではそれなりの配慮が必要であるはずだ。

しかし、おそらく編集者やライターも、ふちがみ氏同様に無邪気で、氏の発言を「辛口コメント」と荒くくくって差別意識を看破できていないのは、「質のいい外国人」「質のいいゲイ」発言に対して批判的な言説が見当たらないことからも明らかである。

真意を確認するために本件について「TOKYOWISE」編集部に問い合わせたところ、「あくまでふちがみ氏の個人的な見解だが、問題意識を持っていなかった。今後は注意深く対応したい」との回答があった。あわせて、「TOKYOWISE」のスポンサーである「スターバックスコーヒージャパン」にも見解をうかがったところ、「独自取材をするなどのビジネスモデルに賛同し、協賛しているが、記事の制作については関知していない」ということだった。

また、今回取り上げた記事の問題箇所については「コメントする立場にない」と回答されたため、スタバが問題意識を持っているかどうかを聞くことがかなわなかった。

しかし、スポンサーとして当該記事に向き合う責任があるのではないだろうか。

この言葉によって傷ついたり不快に思う人間がいることを認識し、それでもこういった文言が社会的に容認できると考えるのか、あるいは否か、立場を表明し、前向きに検討したり、容認できないのであれば出資者として媒体に憂慮を伝えたり是正を求める、などの行動がされるべきではないかとわたしは考える。

スタバは会社として、性的マイノリティや外国人への差別に関しての社会的な貢献は特に行われていないそうだが、社内は多様性を受け入れる文化だと言う。それならば、社内だけでなく、社外の、しかもスポンサーをしているメディアでの多様性を否定するような差別表現を黙認するのでは、内実が伴っていないと理解されてもしょうがないのではないか。

その優劣は差別ではないのか

「質の良いゲイ」という言葉から派生して、「ゲイはセンスがいい」「ゲイはオシャレだ」といった声を思い出す。こういった言説は一聴すると社会に包摂しているようなポジティブな響きがあるが、翻って、センスの悪いゲイ、ダサいゲイが見下される可能性もはらんでいる。また、少し話は飛ぶが、性的マイノリティの就労問題で「コミュニケーション能力が高い」と雇用を促すような言説には、コミュニケーションを上手く取れない場合はどうすればいいのか? という問いが失われている。対人関係の不得手が当事者個人の責任にのみ帰されるのではなく、関係を築きづらい労働環境にも問題があるのかもしれないと、社会の仕組み自体を問い直す機会があってもいいはずだ。

代々木上原に住む外国人=質が良いという言葉の裏にも、他国からの移民など、金銭的に恵まれない外国人の居住区は治安が悪い、という意識も存在するのではないだろうか。優劣をつけるのであれば、「質が悪い」と切り捨てるのでなく、外国人居住と治安の問題に対する意識を少しでも持てないものだろうか。仮にそういった「質の悪さ」が意図ではないのだとしたら、「質のいい外国人」の裏側の「質の悪い外国人」とはどういう存在なのか知りたい。

わたしはこのふちがみ氏の発言とそれを容認した「TOKYOWISE」をただ糾弾し、貶め、言葉狩りをしたいわけではない。だが、「TOKYOWISE」は問い合わせをしたのちに記事の当該箇所を削除している(2016年1月28日15時30分時点)。「不適切な表現があり」と理由が書かれているが、それではなぜ不適切だと思われたのか、説明する責任があるのではないだろうか? 一度公にしたメディアの責任の取り方として削除対応をよく見るけれど、「なかったことにする」のではなく、問題があったと認識するのであれば「あったことを是正する」という前向きな対応が望ましいとわたしは考える。そのほうがメディアの信頼を取り戻すことができるのではないだろうか。

「質のいい/悪い男」「質のいい/悪い女」「質のいい/悪いストレート」「質のいい/悪い子ども」「質のいい/悪い日本人」など、自分自身や身の回りの人々がその属性に基づいて優劣をつけられる場面を想像し、そういった価値観が流布することを想像し、素朴に、差別意識を身近な問題として考え直してほしい。
鈴木みのり

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