社会

「代々木上原の外国人/ゲイは質がいい」 ひとに優劣をつけ、悪ノリで誤魔化すことのおぞましさ

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「コメントする立場にない」という責任逃れ

侮蔑以外のなにものでもない表現をそのまま掲載したメディア、編集者、ライターの責任も問いたい。わたしは差別表現を掲載してはいけないと言いたいわけでは決してない。広く公に対して世界や人間について扱うメディア上ではそれなりの配慮が必要であるはずだ。

しかし、おそらく編集者やライターも、ふちがみ氏同様に無邪気で、氏の発言を「辛口コメント」と荒くくくって差別意識を看破できていないのは、「質のいい外国人」「質のいいゲイ」発言に対して批判的な言説が見当たらないことからも明らかである。

真意を確認するために本件について「TOKYOWISE」編集部に問い合わせたところ、「あくまでふちがみ氏の個人的な見解だが、問題意識を持っていなかった。今後は注意深く対応したい」との回答があった。あわせて、「TOKYOWISE」のスポンサーである「スターバックスコーヒージャパン」にも見解をうかがったところ、「独自取材をするなどのビジネスモデルに賛同し、協賛しているが、記事の制作については関知していない」ということだった。

また、今回取り上げた記事の問題箇所については「コメントする立場にない」と回答されたため、スタバが問題意識を持っているかどうかを聞くことがかなわなかった。

しかし、スポンサーとして当該記事に向き合う責任があるのではないだろうか。

この言葉によって傷ついたり不快に思う人間がいることを認識し、それでもこういった文言が社会的に容認できると考えるのか、あるいは否か、立場を表明し、前向きに検討したり、容認できないのであれば出資者として媒体に憂慮を伝えたり是正を求める、などの行動がされるべきではないかとわたしは考える。

スタバは会社として、性的マイノリティや外国人への差別に関しての社会的な貢献は特に行われていないそうだが、社内は多様性を受け入れる文化だと言う。それならば、社内だけでなく、社外の、しかもスポンサーをしているメディアでの多様性を否定するような差別表現を黙認するのでは、内実が伴っていないと理解されてもしょうがないのではないか。

その優劣は差別ではないのか

「質の良いゲイ」という言葉から派生して、「ゲイはセンスがいい」「ゲイはオシャレだ」といった声を思い出す。こういった言説は一聴すると社会に包摂しているようなポジティブな響きがあるが、翻って、センスの悪いゲイ、ダサいゲイが見下される可能性もはらんでいる。また、少し話は飛ぶが、性的マイノリティの就労問題で「コミュニケーション能力が高い」と雇用を促すような言説には、コミュニケーションを上手く取れない場合はどうすればいいのか? という問いが失われている。対人関係の不得手が当事者個人の責任にのみ帰されるのではなく、関係を築きづらい労働環境にも問題があるのかもしれないと、社会の仕組み自体を問い直す機会があってもいいはずだ。

代々木上原に住む外国人=質が良いという言葉の裏にも、他国からの移民など、金銭的に恵まれない外国人の居住区は治安が悪い、という意識も存在するのではないだろうか。優劣をつけるのであれば、「質が悪い」と切り捨てるのでなく、外国人居住と治安の問題に対する意識を少しでも持てないものだろうか。仮にそういった「質の悪さ」が意図ではないのだとしたら、「質のいい外国人」の裏側の「質の悪い外国人」とはどういう存在なのか知りたい。

わたしはこのふちがみ氏の発言とそれを容認した「TOKYOWISE」をただ糾弾し、貶め、言葉狩りをしたいわけではない。だが、「TOKYOWISE」は問い合わせをしたのちに記事の当該箇所を削除している(2016年1月28日15時30分時点)。「不適切な表現があり」と理由が書かれているが、それではなぜ不適切だと思われたのか、説明する責任があるのではないだろうか? 一度公にしたメディアの責任の取り方として削除対応をよく見るけれど、「なかったことにする」のではなく、問題があったと認識するのであれば「あったことを是正する」という前向きな対応が望ましいとわたしは考える。そのほうがメディアの信頼を取り戻すことができるのではないだろうか。

「質のいい/悪い男」「質のいい/悪い女」「質のいい/悪いストレート」「質のいい/悪い子ども」「質のいい/悪い日本人」など、自分自身や身の回りの人々がその属性に基づいて優劣をつけられる場面を想像し、そういった価値観が流布することを想像し、素朴に、差別意識を身近な問題として考え直してほしい。
鈴木みのり

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