全員ニートで同じ顔、でも見分けがつく
原作を含むこれまでの『おそ松くん』と『おそ松さん』の最大の違いは、「親でさえ区別できない」とされ、全く同じルックスのキャラクターが6つ並ぶという没個性ぶりが逆に個性とされていた主人公の6つ子それぞれに、特徴が与えられた点にあります。この変更が作品のコンセプトに深く関わるであろうことは、6人の兄弟を数名で分担担当していた旧作に対し、本作では主役級の有名声優6人がキャスティングされている事実からも読み取ることができるでしょう。
漫画やアニメーションで同じ顔が6つ並んでいたとしても、キャラクターの差別化をはかることは実際問題それほど難しくありません。声を変え、髪型を変え、それぞれに職業、恋人や家族、特技や趣味などを持たせれば、固有性を持つ認識可能な存在として「キャラを立てる」ことができるはずです。本作の素晴らしさのひとつとして、こうした従来的なキャラクター作りを排したことにより、現代社会が持つ人間関係の難しさに接近可能になった点をあげておきたいと思います。
雇用が流動化し景気が不透明な今日、職業に対する威信は大きく揺らいでいます。1993年にサッポロビールのタイアップで描かれた「大人になったおそ松くん」では、30歳代になった6つ子について「長男のおそ松は親と同居、独身の冴えないサラリーマン」「次男のカラ松は八百屋の婿養子になり、嫁の尻に敷かれている」といった設定を与えられています。しかし、90年代と今日では社会状況が全く変わってしまいました。「独身の冴えないサラリーマン」であっても、親から不動産を受け継いでいたら大きな強みになるかもしれません。八百屋をはじめとした小売業を支える商店街が力を失っているのは周知の通りですし、近所にスーパーマーケットが進出したらひとたまりもないでしょう。社会的地位がその人の生き方やありようを規定できていた時代はとっくに過ぎています。もはやサッポロビールのように「大人になったおそ松くん」を描くことは困難になってしまったのです。
では、現代社会における6つ子の設定にはどのような仕掛けがあるのでしょうか。旧作の10年後を描く『おそ松さん』の主人公たちは年齢こそ20歳を超えていますが全員がニートで童貞というのが本作の見取り図です。収入がないのですから、ファッションや車など、社会階層の違いを示す記号が必要ありません。全員色違いで同じ服装をしています(ただし着こなしに少々違いがあり、そこに個性があらわれています)。本作で与えられた6つ子の個性とは、例えば長男のおそ松は「小学校6年生のまま成長したバカ、リーダー的存在」、次男のカラ松は「向こう見ずの熱い性格、ナルシストの格好つけでイタい発言が多い」、三男のチョロ松は「6つ子の中では常識人でツッコミ役、アイドルオタク」といった人間関係や振る舞いに関わる事柄が細かく設定されています。
性格が違うとはいっても基本的には同じ顔ですから、やはり区別はつきにくいものです。それにもかかわらず、視聴を続けるうちに不思議と違いが見分けられるようになってきます。声優さんの演技をはじめとした丁寧なキャラクター描写がこれを可能にしているのは疑いがないのですが、それに加えて、統一感があるグループの人間関係を俯瞰しながら個人の微細な差異を読み込んで楽しむという姿勢がいつの間にか私たちに備わっていたことをこの状況は示しているようにも思います。似たようなまなざしとして、例えば、AKB48などのアイドルグループを楽しむ視線があるのではないでしょうか。私たち自身の人間関係にも同様の視線が向けられているようにも思います。