「家」制度は完全に否定されたのか
この後の会談では、編製単位が問題にされることはなかったという(ここでは触れられないが、会談では戸籍法に関する他の事項ももちろん問題にされている)。その後、戸籍法は国会審議に入り、そこでは、個人編製の主張は出てこなかった。家族単位の編製が採用されたまま、法案は1947年12月に成立することになる。
さて、先に引用した会談のやりとりを読めば、草案における戸籍の編制単位が家族であることが、「家」との関係において問題にされていることがすぐ分かるだろう。「家」というのは、戦前の「家」制度のことである。「家」制度は、明治民法と戸籍によって確立された家族制度であった。家族の長である戸主の命令、監督に家族のメンバーすべてが服従する制度で、戸主の地位は家督相続として原則として長男が継承した。誰がどの家に属し、誰が戸主か、誰が次の家督相続人かは戸籍によって明らかにされていた。
その「家」制度は、司法省の発言の中に「民法改正法案によって、『家』はなくなった」とあるように、改廃が決まっていた。改廃は、その年(1947年)の5月に施行された新憲法の、主に24条(家族に関する事項に関して、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない)から導き出されてきたものだった。
GHQは、民法上の「家」廃止と一貫性を持たせるかたちで、 戸籍法上も「家」の名残を排除するべきという考えを採っていた。だから、家族単位の編製ではなく、個人編製にしてはどうかと繰り返したのだ。
では、司法省側の考えはどのようなものだったのか?
司法省も、「家」を否定するというスタンスははっきり示している。だが、GHQが「家」の名残があるのではないかと指摘した、家族単位の編製については、「言い訳」しつつ結局取り下げることはなかった。
先の論文で和田氏は、「司法省には実務の責任があり、実務の混乱回避が『一番念頭』にあり、取り扱いを余り変えないようにしたい」という考え、また「実務の相手側たる国民全員に直結する制度ゆえ、国民意識と遊離した机上の議論による改正は、窓口でも国民も混乱するし、国会も通らない」という考えがあったと指摘している。
つまり、司法省は、「『家』制度はなくなった、その温存など考えていない」と言いつつ、戸籍に関する実務の混乱回避のためには、国民意識に馴染んだものをできるかぎり維持したい、と主張したわけだ。もちろん、その国民意識は戦前の「家」制度の中で形成されたものである。
多様な家族のあり方と、夫婦と子どもを基本単位とする戸籍制度の相性は?
司法省が、イデオロギー的に「家」制度を残存させようとしたのではないにしても、結果としては、「家」が形を変え、戸籍の中にその編製の単位として、家族のまとまりを示すものが残ることになった。
先に、戸籍の機能は、身分登録だと書いた。個人の身分登録が家族単位である必要はない。個人単位であっても、家族との関係(誰と家族か)が示されなくなるわけではなく、ただ家族が一つの紙にまとめられた編製でなくなるだけだ。戸籍制度で、家族単位の編製が現在も維持されているのは、司法省が「紙不足」や「手数」を「言い訳」にしたように、事務的な効率性やコストのためなのだろうか。
戸籍の編製の形式において、家族のまとまりが示されていることについて、二宮氏は、戸籍が家族統制機能を果たしてきたと論じている。つまり、戸籍は、単なる身分登録のための技術ではなく、家族のあり方(標準的家族モデル)を示す機能をも果たしてきた、というのだ。
その家族とは、戦後の戸籍法では、夫婦と結婚していない子どもの2世代までで、3世代以上離れた者は同じ戸籍に記載されない、と限定された。この限定は、多世代の親族集団だった戦前の「家」を否定するものである。
この夫婦と子という家族のまとまりが、戦後の日本社会で果たしてきた重要な役割についてここで述べる余裕は無い。今回のテキストで触れたのは、戦後のスタート地点の一場面である。その歴史的な局面での決定に、理念的なもの(例えば、憲法の理念)が貫徹されない様である。そうして出来上がったものが、70年そのままだったりする。
二宮氏は、夫婦と子という標準的家族モデルは、戦後の経済成長期に大きな役割を果たした後、「夫婦と子の家庭、夫婦だけの家庭、夫婦だけの家庭、ひとり親家庭(母子・父子家庭)、ひとり暮らし、婚姻届を出さないカップル、親族以外の共同生活、同性カップルなど」、多様な家族のあり方が現れている現状に合わなくなっていると指摘している。
戸籍の家族統制機能について、それがどれ程のものか評価するのは難しい。しかし、ここで示されている多様な家族のあり方が、現状の法制度下で公的に保護されていないことは、様々な形で問題にされているものだ。家族のあり方について考えるにあたって、その制度的側面に関わる戸籍のあり方を再考することは避けられない。
制度が今ある形になった歴史をたどってみるのはその再考の一つのやり方だ。そうすると、今まさにポイントとされている問題が、何十年も前から指摘されていると知ることになったりするのだ。
(福島淳)
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