家庭で「自信」を奪われた専業主婦が、何も破壊せずに自らを再生させる『マダム・イン・ニューヨーク』

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『マダム・イン・ニューヨーク』 ガウリ・シンデー監督

『マダム・イン・ニューヨーク』 ガウリ・シンデー監督

 2012年の映画作品『マダム・イン・ニューヨーク』は、インドの女性映画監督ガウリ・シンデーのデビュー作にして、世界中で絶賛を浴びた話題作だ。なぜか? 描かれるのは、立場や環境は違えど、多くの女性が一度は立ち向かうであろう結婚と家族(男性も皆、立ち向かうのだろうか?)。幸福なイメージのつきまとうそれらによって自尊心が削られていた一人の女性が、ある行動によって自己を取り戻す、勇気と英知の物語だからかもしれない。

 先にあらすじを紹介しておく。主人公は、インドでそれなりに裕福な夫と子どもふたりと実母の5人家族で暮らしを営む女性・シャシ。料理上手の彼女はインドの伝統的なお菓子“ラドゥ”をご近所にケータリングするという小さな商売をしている。しかし夫(悪い人ではないが思いやりに欠ける男だと思う)はシャシの料理の腕は褒め称えるが、彼女のケータリング業を一人前の仕事とは認めていない。自分はあくまで専業主婦なのだ――シャシはひそかに、家族に裕福な暮らしをもたらしてくれるほど稼ぐ夫と、自分とが、対等な存在であると思えなくなっているようだった。

 シャシの最大のコンプレックスは、英語が苦手なことだ。ヒンドゥー語が公用語のインドでも、彼女の生活圏で人々が日常的に使うのは英語らしい。苦手なりに英語で話してみるも、夫や思春期の娘からバカにされる。ところがある日、ニューヨーク在住の姪が結婚式をすることになり、シャシは挙式準備を手伝うため、家族に先立って単身でアメリカに行くことになってしまう。不安と恐怖いっぱいの胸中で渡米したシャシだが、英語が下手すぎてカフェで店員から酷い扱いを受けたことをきっかけに、現地の外国人専門の英会話教室に短期間ながら通うことを決意。そこで出会った、いろんな国から集まった教室の生徒たち、ゲイの先生。彼らとの交流、淡い恋を通してシャシはだんだん自信とやる気をつけていく。

 しかし挙式の日が迫り、インドから家族が合流すると、シャシは彼らの世話をしなければならなくなり、教室に通い続けられなくなる。しかも英会話教室の最終日に行われる重要な試験が姪の挙式当日と重なっていることがわかった。シャシは志半ばでインドへ帰国することになるのか、と思われたが、迎えた挙式当日、彼女を待っていたのは……。

「料理は男が作れば〈アート〉になり、女が作ると〈義務〉になる」

 妻として、母として、働くひとりの人間として、そして女として、シャシが苦悩している姿が、見ている者の心を掴む。最初は自信がなく涙ばかり流していた彼女の笑顔が増えていくにつれ、ついこちらも笑顔になってしまう。

 専業主婦が悪いわけではもちろんないが、シャシの夫が彼女について「料理しか得意なことがない」と笑いながら周囲に話す姿には違和感を覚える。母として奮闘してきたが、年頃の娘には疎ましい存在として心ない言葉を浴びせられる。

 彼女はニューヨークの教室で出会ったフランス人シェフに言う、「料理は男が作れば〈アート〉になり、女が作ると〈義務〉になる」「欲しいのはお金じゃない。尊重されること」。日本人男性にも耳が痛いセリフじゃないだろうか。

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