「母親」が「人間」である以上。植本一子『かなわない』書評

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 私は不穏な日曜日の記録を読むたびに、一子さんと同じように泣いてしまった。自分自身が4歳の娘を育てる中で、感情をコントロールできず、目の前で物に当たったり、無視したり、してしまうことがある。絶対にやってはならないことだと自覚している一方で、そのときにはどうすることもできない。トイレに逃げたり、布団をかぶったりする。

 外野から見る限り、石田さんはきっと、子供たちにとって良い父親だ。家事と育児を一子さんに丸投げしていない。美味しいナポリタンを作る。出張があっても一泊か、いくら遅くても必ず帰ってきてくれる。結婚と長女誕生について石田さんが書いた書籍『ホームシック生活(2~3人分)』(フィルムアート社/09年)には、石田さんの実母が弟を産んで6年後に急逝したことを振り返っているが、育児がいかに重労働であるかを少しでも知っているからこそ石田さんは出来る限り妻をいたわろうとしている、そんなふうに、部外者からは見えた。独身時代と違い、日常(家庭)と非日常(仕事)を隔てる重い扉が出来たことを石田さんが本心から喜び、大切にしようとしているように見えた。

 でも、メインで育児を担っているのはやはり一子さんで、日常と非日常を隔てる扉の重さに引き裂かれているのも一子さんだった。日曜に石田さんの仕事(ライブやDJ、あるいは警備の仕事)が入れば、一子さんは仕事を入れないよう調整し、石田さんが帰ってきてくれるまでジッと子供たちとの時間をやり過ごす。“お母さんなんだから当たり前でしょ”なんて正論は、意味がない。彼女も「お母さんなんだから当たり前だ」と思っているからだ。「お母さんなんだから、子どもと一緒にいるのがツラいなんておかしい。私は悪いお母さんだ」と、自分を追い込んでますますツラくなっているからだ。産む前は、自分がそんなふうになってしまうなんて、きっと、思ってもみなかっただろう。私もそうだった。いま自分は32歳だけれど、もう第二子を産むことはないだろうと思っている。自分はこれ以上産まないほうがいいと思っている、ということだ。

理想なんて持たなければいいのに

 しかし一子さんのツラい日曜日の描写は、13年になると途端に激減する。彼女の仕事が充実しはじめ、外出が増え、逆に石田さんが反原発デモで家を空けることが少なくなったようだ。一子さんの日記に、様々な「外の世界の人」、つまり家族以外の友人知人の名前が溢れるようになって、彼女の心が躍っていることが読者にもすぐにわかる。鬱だったのが、躁に転換したかのように、活発に仕事をやりはじめる、と同時に、家族を疎ましく思う気持ちが膨らんだようだ。夜に出かけ、午前2時~3時に帰宅する日が増えた一子さんは、石田さんに咎められながらも、それを止められない。記録は、途切れる。

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