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政府が子どもを減らす時代 名女優が記した1950年代に生きる女性たち

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「産めよ、殖やせよ」から「過剰人口」抑制への転換

ところで、高峰がこの本でインタヴューした中に、「産児調節運動者」の女性がいます。

『私のインタヴュー』の中で、この回と、日本に暮らす外国人女性の回は、やや例外的な人選になっており、日々の仕事について聞くというより、啓蒙的なトーンのある話が展開されています。

登場する外国人女性たちは知識階層の人で、外国人(欧米人)の目から見た日本、特に、日本の夫婦関係や家族関係について語っています(高峰が「外国にも家族制度はありますか」と問うくだりもある)。産児調節運動者の回も、出ているのは、日本産児調節連盟事務長という肩書きの女性です。というように、この本の中では毛色が違う回なのですが、1950年代の日本の女性や家族が置かれた状況がうかがえるテーマは興味深く、ここで紹介してみようと思います。

産児調節運動とは、子どもを持つこと、つまり妊娠や出産の、人為的な制限、コントロールを推奨する社会運動です。もともとアメリカで起こった運動で、その影響を受けて日本でも戦前、1930年代から活動が行われていました。運動にはいくつもの団体があり、ここでインタヴューされている辻本氏が所属する、日本産児調節連盟もそのひとつ。

インタヴュー冒頭に、次のようなやりとりがあります。

高峰 なんか戦争中は「産めよ、殖やせよ」、いまは産制[引用者注・産児制限のこと。産児調節に同じ]奨励で変なかんじですね。
辻本 ほんとうに。国家としてのこれについての中心の考え方が、「産めよ、殖やせよ」の裏返しのような考え方で来るということは、警戒しなければならないことですわね。この間厚生省と日本家族計画連盟の共催の家族計画普及全国大会がございましたとき、「あまり人口問題を言っちゃ駄目だ。あくまでも個人の幸福という立場から指導しなければならないし、受け入れるほうも、自由な立場で受けなければならない」ということが中心になって、進められましたから、大体それでいいんじゃないかと思いますけれどもね。

この箇所を読むといろんなことが分かります。まず、国家が産児制限を奨励しているということです。そして、日本家族計画連盟という産児制限運動の団体による連盟が、政府(厚生省)と組んで、家族計画の普及を図っているということ(産児制限があらたな「家族計画」という言葉でまとめられていることもポイントです)。そして、辻本氏のような産児制限運動者の側には、政府の考えに対する警戒感もある(あるいは、少なくともこういう場では、警戒感もあるんだと発言する立場だ)ということです。

戦前からの社会運動であった産児調節運動は、戦後のこの時期に、国家の政策と関わるものになりました(単純化して言えば、政策的に支持、あるいは、政策として採用された、という感じでしょうか)。それではどのような政策と関わったのかというと、「あまり~言っちゃ駄目だ」と限定が付けられて示されてますが、それは人口問題に関わるものでした。

高峰は、この回のリード文にあたる部分で、仕事で日本各地にロケに行くたびに、人が、特に、子どもが多い国だと感じる、という話をしています。1950年代は、過剰人口という問題があった時代なのです。

子どもの多さ、過剰人口というのは、ただ国土の広さに対して人の数が多い、ということではありません。ある経済状況において、まかなえる人口はどれくらいなのか、つまり、どれくらいの人が、どんなレベルの生活を送れるのか、も含めての問題です。

敗戦後の日本では、経済的にも物理的にもダメージを受けたところへと、兵隊に出ていた人たち、外地にいた人たちが戻ってきた。その上、1947年から49年にかけてはベビーブームが起こりました。

日本政府は、そのような過剰人口問題に対処する、人口政策として、家族計画を採用したのです(それに併せて、先に出てきた日本家族計画連盟が結成され、辻本氏の所属している日本産児調節連盟も参加したわけです)。

ただし、産児制限はもともと人口政策のものではありません。政策として採用されることによって、運動が推進されることは(運動にとって)いいことだとしても、異なった意図のもとに運動が動員されるようなものであってはまずい。

時代は戦後の、民主的であることを目指し、謳う社会なのですから、人口政策、家族計画というものも、「あくまで個人の幸福という立場で」指導され、「自由な立場で」取り入れられなければ、と表明されているわけです。

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