ライフ

政府が子どもを減らす時代 名女優が記した1950年代に生きる女性たち

【この記事のキーワード】

避妊方法の普及は「性道徳の頽廃をきたす」?

インタヴューで次に語られるのは、時代を少し遡った、辻本氏が戦中に疎開していた長野の山奥の村で、子沢山の農家の家庭に触れた話です。戦中の「産めよ、殖やせよ」の時代(この時代にはもちろん産児調節を訴えることは困難でした)が終わり、終戦後の困窮した生活の中で出てきたのは、「なんとかしてオロしたい」という声だった。そういう中で、悲惨な堕胎が行われていた状況が紹介されています。

そして、産児調節を広める話に入っていきます。避妊の知識を、器具や薬品を、どう広めていくかという話です。

「実地指導員」「実地指導員の資格」というものが出てきます。各地で、産児調節の普及にあたるのが指導員で、知識だけでなく、法的に整備された資格があること(これは産児調節が政策となったためでしょう)によって器具(避妊具)に加えて、薬品(避妊薬)も取り扱うことができたのです。

辻本氏は言います。「と申しますのも、いくら話をしてあげても、今晩からでもすぐ役立つということでなければなんにもならないんですから、そのためにはその空気に応じて、その場でこれを使いましょうというふうに持ってゆけば、はじめて実行に結びつくんでしてね」。「指導」の現場の空気が感じられる発言です。

そして、産児調節運動に触れた人々の反応が語られます。

小さな靴屋さんの話。「つい、子だくさんの家というと覗いてみちゃう」という辻本氏。幾度目かの訪問でようやく、「奥さん」から、子どもが生まれると困るが、「お父ちゃんが反対だからなにもしていない」。「夜、お父ちゃんが寝にくることが怖い」と聞き出す。そこれで、辻本さんが夫に気付かれない避妊法として勧めためたペッサリーを使用するようになると、奥さんに(性交を)拒まれなくなったので、夫も「いかにもテレ臭」そうにしてるがハッピーというお話。

あるいは、高峰が、「一般的にはそういう器具、薬品を買うということは、恥ずかしいことが先にたっちゃう」のでは、と言うのに対して、地域の目を気にする農村でも(産児調節運動の)「講習会や座談会のあとで、空気の高まった中では案外なんでもないようです」(しかし、器具や薬の補充も苦労がある)だとか。

また、高峰は、「産児調節運動の普及と共に、未婚の若い人が、安心して利用することもあるんじゃないか」とも聞きます。それに答えて、

辻本 いまの社会状態からみて、収入の点や住居の問題などで、恋人同士が結婚できなくて困ってる人がたくさんあるわけですね。といっても正式な式を挙げるまではそういう関係になっちゃいけないといっても、なる場合だってありますし、よくこの運動の普及が、結婚前の若い人たちの風紀の紊乱、性道徳の頽廃をきたすというようなことを言う人もありますが、その度合いが問題なんでして、もしそういう若い人たちの間に子供ができれば、親も子も始末におえないことになりますものね。別な社会悪がそのために加算されるという状態なら、せめて防ぎうる方法で防いだほうがいいんじゃないかと思いますけれど。

この発言だけでは、運動として、婚姻関係にない人々に対しても産児調節の普及を働きかけていたかは分かりません。しかし、既婚の人から波及して未婚の人にも、という話だったとしても、運動に関わる人が、それを(いろいろと限定つきだが)肯定的に語っているのは、興味深いです(ただし、これは産児調節の話なのだから、婚外子の誕生を防ぐという話ともとれます)。

この後、産児調節という話題が、「ワイ談」にされてしまうことがある、という話が出てきます。「ある工場の寮で、工員のおかみさんばかりの座談会をやった」という例です。運動で職場単位での働きかけを(それも、その奥さんたちに対して)行っていたことがわかる例ですが、座談会の中で、「『早速実行したいんだけれども、実行したら大変だ』」という話が出た。というのも、「その御亭主たちが工場へ行って、実行した奥さんの御亭主をワイ談のようにしてからかう」からだという。中高生男子か……ってな話ですが、産児調節、避妊が世の中に広がっていくにあたっては、こういう過程を経てきたわけです。

1 2 3 4

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。