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政府が子どもを減らす時代 名女優が記した1950年代に生きる女性たち

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1950年代の女性たちの生き方

それから60年経ち、産児調節・避妊という選択ができるという知識は広まり、避妊具の入手も容易になった今日。では、避妊、性教育などについての意識はどうなっているのか(より広く、性や生殖に関してどのような議論、会話、言説がこの社会で生み出されているのか)。また、産児調節が、国家の人口政策と共に広がっていったということを批判的に見るとどうなるのか。子どもの数のコントロールは、家族の形のコントロールでもあるわけです。様々なことが気になってきますが、それらについて稿を改めて書こうと思います。

今回取り上げた高峰秀子の『私のインタヴュー』は、冒頭で書いたように『婦人公論』という雑誌での連載でした。この雑誌では、高峰の連載時期と重なる、1955年から59年にかけて「主婦論争」というものが起こっていました。主婦を手厳しく批判し、夫婦共稼ぎを主張する「主婦第二職業論」によって口火を切られ、主婦の職場進出を問題にした論争です。論争の背景には、主婦の大衆化の動きがありました。サラリーマンと専業主婦という家族スタイルが定着しはじめた時代であり、ここに、2、3人の子どもを持つということが加われば、高度成長期の標準的家族像、ということになります。この、「2、3人の子どもを持つ」ということも「子どもの数のコントロール」であり、稿を改めて考えてみたいことと関係します。

『私のインタヴュー』は、そのような「新しい」家族スタイルが定着していく時期に出た本でありながら、そこから垣間見える女性たちのイメージは、「主婦」というあり方のイメージからはかなり異なるものです。論争になるような「新しい」生き方が現れてきていた同時代に、このような人たちもいたのだと意識しながら読むと『私のインタヴュー』の味わいはさらに増すように思います。

※「産児調節運動」に関しては、田間泰子『「近代家族」とボディ・ポリティクス』(世界思想社)を参照しました。
(福島淳)

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