今日はイギリスの作家カズオ・イシグロが2005年に発表した小説『わたしを離さないで』(Never Let Me Go) をとりあげようと思います。この小説は2010年には映画化もされました。日本でも2014年に蜷川幸雄の演出で舞台化されており、現在、TBSで舞台を日本に移したテレビドラマが放送中です。今日の記事は小説についてのネタバレを含みますので、もしドラマを見ている人がいたらお気をつけください。
なお、この論考では、基本的に引用については原書はKazuo Ishiguro, Never Let Me Go, 2005, Faber and Faber, 2006、日本語訳についてはカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』土屋正雄訳(早川書房、2016)に拠っています。
『わたしを離さないで』における情報の開示
『わたしを離さないで』は20世紀後半のイギリスで展開しますが、現実の歴史よりも科学が発展している設定です。語り手は介護人のキャシーで、このヒロインが寄宿学校ヘールシャムの同窓生であるルース、トミーとの関係を中心にさまざまなことを物語る形になっています。物語がすすむにつれて、ヘールシャムは臓器移植用クローンを育てる機関で、生徒は全員、臓器を提供して死ぬ運命にあることがわかります。
イシグロは読者に最初から完全な情報を与えず、少しずつ開示していくことで期待を高めたり、不穏な雰囲気を醸し出したりすることに長けた作家です。場合によっては所謂「信頼できない語り手」、つまりなんらかの事情でウソをついたり、秘密を持っていたりする語り手を使って読者を混乱させたり、最後まで全ての謎を解かなかったりすることもあります。『わたしを離さないで』では、このイシグロの意地悪な語りが炸裂します。小説の中で、ヘールシャムの保護官の子どもたちに対する態度が「何をいつ教えるかって、全部計算されてたんじゃないかな。(中略)何か新しいことを教えるときは、ほんとに理解できるようになる少し前に教えるんだよ」(訳書p. 129、原書p. 81)と描写されているところがありますが、この記述はイシグロと読者の関係にも適用できるでしょう。読者は出てくる情報をきちんと理解できているのか、どんどん不安になっていきます。
そして私が今回の論考で注目したいのは、この小説のほぼ最後で行われるちょっとした開示です。この小説には、時折ヘールシャムを訪れて子どもたちが作った芸術作品の中から出来の良いものを選んで持って行く「マダム」という女性が登場します。第21章でこの女性はマリ・クロードという名前で、ヘールシャムの主任であったエミリ先生とレズビアンのカップルであることが明らかになります。ふたりの関係はあまり明示的に書かれておらず、さらに日本語版の訳書では、エミリ先生がマダムを二度ほど「ダーリン」(‘darling’、原書p. 252) と呼ぶ箇所がはっきり訳出されていないので、よりわかりにくいかもしれません。ふたりが長年同志として活動して今は同居しているという事実と、エミリ先生の口調以外に、ふたりの間の愛情について詳しく知る手がかりは提供されていません。キャシーは「エミリ先生とマダムが互いにどう思っているのか、興味をそそられた」(訳書p. 410、原書p. 263)と述べていますが、読者も同じく興味をそそられるでしょう。
このふたりがレズビアンであるということは、クローンや臓器移植を扱ったこの作品の中でどういう意味を持つのでしょうか? この開示を念頭に最初から小説を読み直すと、いろいろな伏線があることがわかります。ひょっとすると意地悪なイシグロに騙されてしまうかもしれませんが、先月の連載でご紹介したクィア批評的な手法も使いつつ、エミリ先生とマダムがレズビアンであるということの小説全体における意味を考えてみたいと思います。