連載

隠れたるレズビアンと生殖~『わたしを離さないで』

【この記事のキーワード】

同性愛、クローン、生殖

 エミリ先生について面白いのは、彼女がやたらと「ストレート」‘straight’という言葉で形容されていることです。「ストレート」という英語には、「まっすぐである」などの意味のほかに、「同性愛者でない」という意味があります。これは日本語訳だけだとかなりわかりづらいかもしれませんが、エミリ先生はキャシーの語りの中でいつも「ストレート」な人として現れます。エミリ先生は「背筋を真っ直ぐに伸ばして歩く姿勢の良さ」‘always very straight about the way she carried herself’ (訳書p. 64、原書p. 39、傍線は以下全て本論校著者による強調)、「背すじをしゃっきり伸ばして壇上にすわったまま」‘very straight on the stage’ (訳書p. 69、原書p. 43)、 「わたしとまともに目が合った」‘looked straight at me.’ (訳書p. 73、原書p. 45)というふうに、表向きは「まっすぐな」という意味であるにせよ、常に「ストレート」という言葉で形容されています。そんなエミリ先生が最後に「ストレート」でなかったとわかる構成は、少々ミスリーディングな方向に読者を誘った後に意外性のある開示を行うイシグロらしいテクニックだと思います。

 一方でエミリ先生がいつも「ストレート」にふるまっていることは、エミリ先生が自分の性的指向を子どもたちの前では隠しているということも暗示するでしょう。また、ヘールシャムにおける描写で、エミリ先生は子どもたちがどこかいるべきでないところに隠れていると必ず見つけ出す能力を持っており、子どもたちを「出ていらっしゃい」‘Out you come.’ (訳書p. 71、原書p. 44)と言って隠れ場所から出そうとする、という説明があります。これも日本語訳だと少々わかりにくいのですが、英語で「カムアウトする」(‘come out’、‘come out of the closet’として「クローゼットから出る」という表現を使うこともあります)というのは「同性愛者であることを公言する」という意味があります。子どもたちをカムアウトさせ続けていたエミリ先生が実は隠し事を持っており、最後にカムアウトする、という対比があります。

 さらにこの小説の中には一箇所、同性愛に関する重要な言及があります。キャシーがヘールシャムにおけるセックスについて説明するところで、ヘールシャムでは同性間性交渉が「傘セックス」(訳書p.149、原書p. 94)という隠語で呼ばれており、「ほかの施設ではどうかわかりませんが、ヘールシャムでは同性愛に非寛容でした」(p. 94)ということが言われています。ルースの推測によると男子生徒は同性間性交渉を行っていますが、同性愛自体はヘールシャムでは禁忌であるようです。加えて、生徒たちの考えでは、「普通の人」(‘normals’「ノーマル」、訳書p. 150、原書p. 94)つまり非クローンである保護官たちは、一般的にセックスは子どもを作るために行うことだと考え、ゆえにクローンであるヘールシャムの生徒たちが不妊であると頭ではわかっていても、子どもたちがセックスすることになんとなく不安を感じているのだということです(訳書p. 150、原書p. 94)。ヘールシャムが外界の価値観をどの程度反映しているのかはわかりませんが、少なくともこの小説で描かれている世界においては、妊娠・生殖に結びつかない、快楽などを目的としたセックスに対して強い偏見が存在します。

1 2 3

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。