男女不平等が「女性と子ども」の貧困を生む
―― 「夫婦はずっと添い遂げるべきだ」などのこれまでの日本の価値観がスティグマの元になっているんでしょうか?
樋田 そう思います。日本はまだまだそういうことに対しては昔の価値観を引きずっている部分があります。
担当編集 話が変わるかもしれませんが、うちの息子が10歳になったとき、学校で「2分の1成人式」が開かれました。その中で子どもに、「生まれてきたときの気持ち」「ありがとうの気持ち」といった両親宛ての手紙を書くのです。ああいうイベントがあると、そのイベントが掲げる「家族はこうあるべき」という価値観から漏れてしまう人が、自分の家庭のことを言いにくくなってしまうんじゃないかなと思いました。それこそシングルマザーだってことも、言いづらくなってしまうんじゃないかと。
樋田 色々な価値観、人それぞれの生き方があるんだよっていうのを教えるのが教育の役目だと思うんですけどね。
―― 本書では「女性」「子ども」単独でもなく、「男性と子ども」「大人と子ども」でもなく、「女性と子ども」をセットにして貧困問題を取り上げられています。「子どもの貧困」を取り上げている書籍をみていると、必ず「女性の貧困」も言及されます。確かに男性に比べて女性のほうが経済的に困窮しやすく、さらに未だに育児は女性が行うもの、と考えられているところがあるので「女性の貧困」と「子どもの貧困」はセットで語らざるを得ない現状があるのだと思います。ただ懸念を覚えるのは、「女性」と「子ども」をセットで語ることで、「女性が子どもを育てる」という通念を再強化してしまうのではないか、という点です。本書を読んでいても、取材対象のお母さんたちが「私が子どもを育てるんだ」という意識が強かったのではないか、と感じました。
樋田 まず「女性と子ども」を取り上げた理由ですが、ふたつの貧困はセットだと思っているからです。子どもの貧困といっても、それはその親の貧困です。もともと「女性と子ども」にこだわって取材してきたこともあって、この2つはセットにして取り上げたいと思ったのです。そしてご指摘の通り取材したシングルマザーたちは「私が子どもを育てるんだ」という意識が強かった。「イクメン」とか言ってますが育児休暇を取る男性も少なく、日本での育児参加はまだまだですよ。やっぱり女性は、夫に非があっても子どもを置いて簡単に家を飛び出すことはできないじゃないですか。「この子を置いて出て行って、果たしてちゃんと夫が育てられるのだろうか」「私の収入だけで育てられるだろうか」と考えたら、家から出て行くことを諦めざるをえない。男女の賃金の格差も大きい。男性の賃金の6割しか女性はもらっていないという現実もあり、男女平等なんてまだまだですよ、この国は。