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アメリカに満ちた憎悪を描いた『ヘイトフル・エイト』における女性像

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タランティーノはミソジニストか?

タランティーノの前作『ジャンゴ 繋がれざる者』は、19世紀半ば(1858年)の南部を舞台に、黒人差別をテーマにしていました。奴隷のジャンゴが、同じく奴隷である妻を取り戻すために奔走する様を描いたこの映画は、最終的には希望のある結末を迎えました。

『ヘイトフル・エイト』は、白人優位主義をテーマにしていると言われていますが、これは舞台に選んだ南北戦争(1861-1865)の10年後にあった白人優位主義を描くだけではなく、現在のアメリカ社会にも繋がるというタランティーノの意図が感じ取れます。そこには、2014年の、黒人青年が白人の警察官に射殺されたマイケル・ブラウン射殺事件へのタランティーノの憤りも関係しているのでしょう。

『ヘイトフル・エイト』には『ジャンゴ』のような希望は描かれません。これは、タランティーノから見て、アメリカ社会が、もはや希望を描いていたのではどうにもならないところまで来ているということではないかと、そんな風にも思えてきます。

この作品のパンフレットのインタビューには、女性のドメルグが鎖につながれ、反抗すれば殴られ、吊し上げられるなどの扱いを気の毒に思ったと言う町山智浩さんに対して、タランティーノが「いいんだよ! だってドメルグはレッドロックの町で縛り首になるために護送されてるんだから!」と答えたと書かれていました。私も、ドメルグに向けて、タランティーノのミソジニーや、それによって得られるカタルシスが特別描かれているとは思えませんでした。この映画にミソジニーがあるのだとしたら、それはアメリカ社会に存在するミソジニー、そしてヘイトを描いているのではないかと思いました。そして、こうしたヘイトは女性だけに向けられているのではなく、この映画に出る人たちがそれぞれに向けているものです。

アメリカに満ちた様々なヘイトと、希望

さて、「ジェンダーが意識的に描かれているもの」と「意識的にはジェンダーが描かれていないけれど、その構造を読みとれるもの」のどちらかという問いに対する答えですが、この映画で、タランティーノは別に女性の置かれた立場だけをことさら表現しようとは思っていなくて、むしろ、主要人物8名の持つ属性すべてが、お互いにヘイトフルである状態を描いただけだと考えられます。その意味においては、フェミニズムやジェンダーを意図的に描こうとはしていないのですが、属性における憎悪を描いているという意味では、その中の8分の1は意図的に女性の状況を記していると言ってもいいのではないかと思います。

もちろん、密室をアメリカに例え、その中に女性が一人というのはどうなのかという疑問もあるかとは思いますが、物語の主軸が男性になる作品もあれば、女性が主軸になる作品もあって、今回は南北戦争の縮図であるだけとも受け取れるでしょう。しかも、この映画には、ミニーのように、ドメルグ以外の女性の存在もあります。でも、彼女たちは「密室の戦争」の外にいます。深読みかもしれませんが、そのことすらも、アメリカの縮図のようにも思えてしまったのです。

この映画には希望がないと書いてきましたが、それは憎しみから争いに入ってしまった場合は希望がないという意味で、実は希望はちょっとだけ描かれていると思いました。それは、ウォーレンがリンカーン大統領と交わしていたという「手紙」です。ネタバレは避けますが、手紙はこの映画の中ではある種の「物語」だと取ることができます。タランティーノは、どんなに酷い歴史があろうと、酷い事件が起ころうとも、物語の力を信じているのかもしれない、という希望をこの映画から感じました。

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