「同性愛」という言葉に「形」を与えれば怖くない。/『同性愛は「病気」なの?』牧村朝子氏インタビュー

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居場所は「ここ」だけじゃない

―― 私は新宿2丁目のようなコミュティとその他の場所の間に、同性愛者/異性愛者という境界を感じることがあります。自身のセクシュアリティがよく分からないために、そうしたコミュニティに行きづらいと感じている人もいるのではないでしょうか?

牧村 最近の新宿2丁目は観光バーみたいなところができて、敷居が下がりましたよね。「観光客気分で来ていいですよ」というコンセプトのバーです。当事者じゃなくてもいいし、カミングアウトをしなくてもいい。本格的なバーでも、本来なら非当事者が行っていいし、カミングアウトを強要されることもないはずなんですけれどね。本格的なバーには行きづらいと感じるなら、観光バーのようなところに行ってみたらいいと思います。

でも、1つ考えたいのは、なぜそこに行きたいのか、ということですよね。私が昔、新宿2丁目に行きたかったのは「そこじゃないと生きられないんじゃないか」という思いがあったからです。「私はどうやら女のことが好きな女らしい」と自覚した上で将来のことを考えたとき、例えば会社勤めになった場合、社内の「今度合コンやるんだけど来るー?」と言われるような空気の中で本当のことは言えないだろう、と思いました。そういう世界では息ができなくなるだろうと。じゃあどうするかっていうと、会社のなかでは異性愛者としての仮面を被り、新宿2丁目でその仮面を外す、という生き方をするしかないんじゃないか、って思っていたんですよね。

―― そういう風に生きている人は多そうですね。

牧村 そうですね。それも一つの生き方だと思います。でも、決してそれだけじゃなくなってきているんだということは、忘れないでほしいです。“新宿2丁目じゃないと息ができない”という時代は終わりつつある、ということは言いたいですね。それは“新宿2丁目はオワコンだ”って言う意味じゃないですよ。新宿2丁目に行きたいと思えば行ってもいいと思うけど、そこにしか居場所がないわけではない、ということです。

同性愛者と異性愛者は違う人間か?

―― 近年は政治の場面でもセクシュアルマイノリティについて議論されるようになりました。残念ながら差別的な発言もたびたびみられます。

牧村 「同性愛者は婚姻制度から排除されるべきだ」と考える人の意見の重さと、私の意見の重さは同じです。それぞれが言いたいことを言って、決めていくだけだと思っています。だから、「排除しろ」と言う人に対して、「それは差別だから、発言するな」とは思わないです。もちろん、同性愛者が婚姻制度から排除されている、という状況は、差別的だと感じています。でも「排除されるべきだ」という意見も一つの考えとして、受け止めたいです。

―― 本書に限らず牧村さんは他人の意見を尊重するという姿勢をお持ちだと感じています。例えば本書で紹介されている、「同性愛者は異性愛者と異なる種類の人間である。同性愛は生まれつきなのだから、罰するべきではない」と考えるウルリヒスと「同性愛者も異性愛者も同じ人間である。どちらにせよ、成年同士の合意あるプライベートに国家が口出しするのはおかしい」と考えるケルトベニのどちらも否定されていません。牧村さんご自身はどちらのお考えに近いのでしょうか?

牧村 私はケルトベニに近いです。「性的指向が生まれつきかどうか、変えられるものかどうか」ということは、私にとっては重要ではないです。生まれつきだろうが、趣味だろうが、性癖だろうが「人の性のあり方を理由に、婚姻制度から一定の人が排除されている」ということがおかしいんです。

でも、まずウルリヒスが同性愛者を一つの「人種」としてみて、「同性愛者という存在がここにあるんだ」と主張したからこそ、ケルトベニの考えにシフトできたんだとも考えています。この本で紹介した通り、人間はここ150年の間、「人間はみんな異性を愛するように生まれつき、子孫を残したいと考えるんだ」という価値観から、どう本当の世界に近づいていけるか、という戦いをしています。そのためにまずは「人間はみんな生まれつき異性愛者だ」という前提に反論にしないといけなかったんです。ウルリヒスは近くを見て、ケルトベニは遠くを見ていたんだと思うんですよね。

―― 現在はウルリヒス的前提のもとで議論がなされているのも、それはある意味ケルトベニというゴールへの前段階なのでしょうか?

牧村 私はそう思っています。(後編に続く)
(聞き手・構成/北原窓香)

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