今年1月に、「同性愛」という言葉を巡る歴史を記した『同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル』(星海社)を上梓された牧村朝子さん。インタビューの前編では、「同性愛診断について調べることがやめられなかった」とお話になる牧村さんに、執筆動機や差別的な発言を行う人々に対する態度などを伺いました。
私たちは、性の話題になると「こうあるべきだ」「こうするべきだ」という規範意識を持ち出しがちです。そして恋愛やセックスでは、マニュアル化された「正解」を探してしまう……こうした行動には、「他人への向き合い方」が大きな要因となっているのかもしれません。後編では、何も知らないまま恐怖を覚えるのではなく、知ることによって広がる世界の可能性について、牧村朝子さんにお話をいただきました。
<前編>「同性愛」という言葉に「形」を与えれば怖くない。/『同性愛は「病気」なの?』牧村朝子氏インタビュー
「セックスで楽しんでもいい」と説いた戦前の生物学者
―― 同性愛/異性愛だけでなく、人の性のあり方って国家や社会通念に縛られていますよね。例えば婚姻制度も「結婚は男女でするべきだ」と考えられている。恋愛やセックスでも、男女カップルだと「男がリードするべきだ」という決まりごとを作りたがる傾向があります。個人的な関係にもかかわらず、性の話題になると「みんなこうするべきだ」という意見が急に表れるのはなぜだと思いますか?
牧村 2つ理由があると思います。1つ目は、そういう決まりがあった方が楽だから。相手を理解すること、身体を許してもらうことって、個人差はありつつも、すごくしんどいプロセスですよね。それを「みんなそれぞれ違うよね」という前提のもとですると、相手のことを理解するというプロセスが「0」から始まります。「この人はどんな人なんだろう?」というところから始まる。でも「ゲイとは」「女とは」というコードのようなものがあると、「ゲイってこういう風に攻略するものだよね」「女の子ってこういうことすると喜ぶよね」と、「1」「2」から始められると思うんです。実際はそんなつもりになっているだけなんですが。
―― そのコードにあてはまらない人ってたくさんいますもんね。
牧村 そうですよ。でも、みんな楽になりたいから無理やりあてはめようとしているんだと思います。
―― 私も好きな人や恋人が何を考えているのか分からなくなると、ついついネットで恋愛のハウツー的なものを調べてしまいます。当たっていないと思いつつ……(笑)。
牧村 そうそう、本人に聞くのが怖いからね。それが2つ目の理由です。相手に聞けば良いことを、恋愛すると嫌われるのが怖くなって、聞けなくなるでしょ。そういう人が何をするのかっていうと、恋愛のマニュアル本を買ったり、ウェブサイトのPVに貢献したりとか、恋愛カウンセラーとかに行ったりするわけじゃないですか。大きなビジネスになります。だからそういうマニュアルが量産されていくんだと思いますね。
―― 日本では明治-昭和期に「生殖目的以外のセックスはするべきでない」というセックスへの価値観が蔓延していました。その中で、戦前に活躍していた山本宣治という生物学者は、「楽しむためのセックスがあってもいいじゃないか」と訴えていますね。
牧村 山本宣治は、当時は悪いこととされていたオナニーも“個人の権利”として肯定したんです。生殖目的以外のセックスがタブーとされていた時代、きっとみんなオナニーしたかったと思うんですよね。まじありがとうって思います。
―― 生殖目的ではないセックスやオナニーが、タブー視されていた。そのような、性嫌悪的な価値観はどうして生まれるんでしょう?
牧村 嫌いになっても仕方がない要素は、セックスにはたくさんあると思います。臭いし、色々な病気の元にもなるし、痛いこともあるし。とにかく、色々なリスクがありますよね。だから「私は嫌いだ」って言う人に対しては、「そういう見方もあるんだな」って思います。でも「私はセックスが嫌いだ。セックスを好きな人は汚らわしい。みんなセックスを嫌いになりましょう」という権利はないと思っています。好きな人も、嫌いな人もいていい。ただ、性嫌悪を助長させることによって、誰が楽をしているのか、ということは考えないといけないと思います。
―― 誰が楽をしているんでしょうか?
牧村 それは例えば「赤ちゃんはどこからくるの?」という子どもからの質問を面倒がる人なのではないでしょうか。
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