「女性は、男並みを超えて労(いたわ)られる必要はない」
曽野綾子/『老境の美徳』(小学館)
で、やっぱり真打ち登場である。「保育園落ちた日本死ね!!!」に対して、曽野綾子氏は、出演したBS日テレ『深層NEWS』で「自己中な感じがする」と仰った。とにかくインスタントに暴言を投げていらっしゃるが、その暴言の最たる出所である「週刊ポスト」(小学館)の連載がエッセイ集『老境の美徳』(同)にまとまったので、通読する。第二章のタイトルは「女性活躍社会の欺瞞」とある。
ブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」に向かう反論として、「不満を国に向けるのはお門違い」というお門違いな指摘が多いことには呆れたが、曽野氏は、これらの指摘の先鞭をつけるように、子どもを安心して預けられる場所がないことを政治のせいにするべきではないと繰り返し主張してきた。
「私たちが生きる世の中は、決して理想通りにならない。ほんとうにしたいことをするために、他のことはかなりの部分を諦めるというのが普通だと思うし、将来もそうだろう。しかし今では、人は希望する生活を手に入れる権利と自由を持つという。それを阻むのは、政治の貧困だという奇妙な論理が通るようになった」
一瞬だけでも、まともなことを言っているような気がしたかもしれない。確かに言い方はキツいけど一理あるよね、と思ったかもしれない。このテキストはこう続く。一理などない。
「女性は、男並みを超えて労(いたわ)られる必要はない。子育ては大事業だから、その間は退職か休職して子育てに専念し、子供が小学校に上がってから復職すればいい。私の家の歴代の秘書たちは、百%その通りにしている」
子供を育てる女性の再就職をめぐる現状、非正期雇用の育休取得の現状などなど、いくらでも曽野氏にご覧いただきたい指標はあるけれど、あまりにも現実と乖離した意見を堂々と放つ様に卒倒する。彼女は、今の女性は希望する生活を手に入れようとしすぎだし、社会もそれを許しすぎであるという論旨をあちこちで放ってきた。
とにかく、無自覚な書き手である。でも、保守オヤジは「よくぞ言ってくれた」とガッツポーズで出迎える。こんなことも言う。交際していた男性にストーカーされたり、挙句の果てに殺されたりした女性について、彼女は思うことがあるという。
「被害者の写真には、多くの場合、奇妙な類似点があるのだ。それは金髪その他の奇抜な色に染めていること、お化粧が濃いこと、それにピースサインをして写真に写っていることである」
「ここには一つの心理の共通性がある。決して被害者に鞭打つつもりはないが、こうした女性たちは、他人がしていることなら自分もする、という一見素直な判断の形式をとっていることである。人と同じことをするのは、むしろ無思慮無責任で恥ずかしいことだ、それは間接的には個性の欠如を示している、とは教えられたことがないのだろう」
反論しようと思ったが、反論、という文字を打ち込んでいて、「論に反対する」ということは、相手の言動をひとまず「論」と認めることにもなると気づいた。彼女の戯言は論ではない。なので、反論はできない。オビの文章には「このごろ『利己的な年寄り』が増えたのではないでしょうか」とある。そのままお返ししたい。