規範的な家族観が生み出してきた「ひきこもり」を解決するのは「個人」のあり方だ 『家族幻想』著者・杉山春氏インタビュー

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『家族幻想: 「ひきこもり」から問う』(ちくま新書)

『家族幻想: 「ひきこもり」から問う』(ちくま新書)

 「最近人間関係が上手くいかないから、独りでいたい」。「仕事が辛くて、続ける自信がなくなってしまった」。そんな気持ちになることは、誰しもあります。悩みが一過性で終わればいいのですが、もしも自分で解決できず、外に出るのも億劫になってしまったら……。「自分はこのままひきこもりになってしまうのではないか?」。そんな不安が、頭をよぎることがあるかもしれません。

 「ひきこもり」とは、6カ月間以上社会参加をせずに家に居る状態を指します。半年なんて、案外あっという間。躓きから立ち直るきっかけをつかめずに、社会とつながらないまま半年一年と時間が経ってしまう。あり得ることですし、実際、筆者の周りにも、そうやって交友関係から消えてしまった友達や親戚がいます。

 2016年1月に発売された『家族幻想』(ちくま新書)は、当事者や親族、支援者など周辺の人に対する丹念な取材によって、ひきこもり問題に迫る一冊。著者でルポライターの杉山春(すぎやま・はる)さんは、ひきこもりを個人の問題ととらえずに、当事者の家族歴を第二次世界大戦まで遡り、その関係性をひも解いていきます。

 数々の当事者への取材からあぶり出される、抑圧的な家族観。説得力がありすぎて、頭を殴られたような衝撃を受けました。自分を苦しめる家族関係から抜け出すには、どうしたらいいのか? ひきこもり状態になってしまった人に、どうやって接するべきか? 沸き上がる問いを抑えきれず、著者の杉山さんにお会いしました。

−−時代とともに変化する社会のあり方が、個々の家族のあり方に深く関係していると知って驚きました。

杉山「私自身も本を書きながら、社会の変化と家族のあり方の変化が密接に関係していることに気がつき、驚きました。何か問題を抱えて、受け身で世の中を流れて行かざるを得なかったときに、どの時代に生きているかによってたどり着く場所が違う。たとえば、私は虐待の問題も追い続けてきましたが、似たような背景をもつお母さんが、2000年に起きた事件では、家庭の主婦として、隣室の置いたダンボール箱の中で3歳の娘を餓死させ、2010年の事件では風俗嬢として3歳と1歳半の娘と息子を50日間、店の寮に放置して亡くしてしまった。外から見える母親の属性は全く違います。しかし、この違いを生むのは本人の資質ではなくて時代背景なのではないかと思うようになりました」

−−戦後の70年で、家族観はめまぐるしく変化していますね。祖父母、父母、自分達と、各世代でも全然違う。『家族幻想』を読み、祖父母や父母世代の社会の変化がひきこもりの土壌を作っていると理解しました。杉山さんから見て、現代はどんな時代でしょう。

杉山「急速に従来の家族のあり方が変化していると感じます。それが悪いというのではなく、昨年は渋谷区の同性パートナーシップ条例が施行されました。LGBTの方々が公的にカップルとして認められるということは、血のつながりを絶対視しない家族観に変化しているのではないでしょうか。それは歓迎すべきことですね」

−−一方で政府は封建的な家族観を重視しているように思えることもあります。世の中的にも、自由な考え方の人と、保守的な人にはっきりと別れているような。

杉山「政府が家族の大切さを盛んに言い出したのは、離婚が以前に比べ増加しており、三世代同居が減るなど、家族という引力が弱まっている現状に危機感を抱いているからなのかもしれません。政府としては社会保障の部分も家族の美談に押し付ければ手を抜ける。その中で、従来のイエ制度からこぼれた人自身が、むしろ父親が家計を支え、母親が家を守るという古い規範に縛られているために身動きが取れないという現象もあるように思います。規範的な『家族』を得なければ、社会から認められないという葛藤が強い。時にはそれが過剰な母子密着につながってしまう。母であることに強い価値が置かれているからです。状況が困難な母親が、唯一子供だけが自分の力を及ぼせる対象になり、虐待につながることもあります」

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