「ひきこもり」という言葉が生まれたのは1970年代の半ば。しかしそれから40年経っても、問題は解決していません。若い世代でひきこもりとなる人が後を絶たず、またひきこもり第一世代ともいえる現在40歳代の人々には、そのまま社会復帰できない人が多くいるそう。
2016年1月に発売された『家族幻想』(ちくま新書)は、ルポライターの杉山春(すぎやま・はる)さんが長年の取材によってひきこもり当事者達の家族歴を追い、問題の源泉を探った一冊。読み進めていくうちに、当事者が縛られている家族の規範は、決して特殊なものではないと分かります。戦後日本人が歩んで来た激動の時代が、私達の家族観に歪みを作っている――。多くのひきこもり当事者と、その家族や援助者の声によって浮き彫りにされる事実に、心が掻き乱されます。
前編では著者の杉山さんに、私達個人がひきこもりという現象をどう捉え、どう対峙していくべきかをうかがいました。後編では、私達を取り巻く社会のこれからについて、お話を聞きます。
−−『家族幻想』の第二章では、戦後の時代変化が日本の近代家族に与えた歪みに光を当てられています。自分の家族を振り返っても、そこで書かれていることに当てはまる部分が多くて、ショックを受けました。
杉山「過去に社会や人を支えていた家という存在が、すごい勢いで変化していく時期を、私たちは今通り過ぎているのではないかと思うのですね。
かつて、家族は生業をもっていた。そして、一族の一人として役割を得て生涯を終えた。ところが産業化社会では、一人ひとりが社会の側から評価され、居場所を得ていく。一方、私たちはまだ、古い家族規範を抱えている。その規範にしたがって、次世代を育てようとすると、非常に狭いところに追いやられざるをえない。
規範を超えて、人の存在を肯定することができないと、息苦しさが生まれる。適応できない人たちが、ひきこもったり、病んだり、あるいは自死も起きる。それぞれの個人を肯定する道を探すしかない。人権を尊重する社会に移行せざるをえないと思うんです」
−−制度としてのイエが力を失い、セーフティネットとして機能しなくなっているんですね。私達も「普通」という道を踏み外したら、生きることすら危うくなる恐怖があります。
杉山「この社会をサバイブしなければならないという危機感を、皆さん強く持っていますよね。その危機感に対して、もっと家族を大切にして、戦前・戦中のようなイエ制度を取り戻せば生き延びられると説く言葉も目にします。ただ、この本で様々な方に取材をした後には、過去のような家族の形に戻ることは、もうあり得ないと思うんです」
−−そうですね。収入面から考えても、男性だけが働いて家計を賄える家庭は少なくなっていますから、家父長制度は機能しなくなってきますよね。
杉山「ところが社会をリードしている人は、男性一人で家族を養う賃金を得ている人が多い。だから出来上がった社会制度に現状とのミスマッチが生まれてしまう危険性があります」
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