『ラ・ボエーム』のムゼッタ
最初はジャコモ・プッチーニ作曲のオペラ『ラ・ボエーム』(La Bohème)です。1896年に初演され、おそらくイタリアオペラの中で最も有名な作品でしょう。パリで芸術や学問を志す貧しい若者たちの恋模様を描いており、中心は作家志望のロドルフォと貧しいお針子ミミの悲恋です。ロドルフォとミミは愛し合っていますがミミが結核になってしまい、もっと金持ちの恋人を探したほうがミミのためになるということでふたりは一度別れます。最後に瀕死のミミがロドルフォのもとに戻り、ミミは死んでしまいます。
私は高校生の時に音楽の授業でこのオペラのダイジェストを見たのですが、全然面白くありませんでした。ミミはとても可憐ですが、ひどい言い方ですけれどもまるで出てきて死ぬだけみたいな役割で、いかにも古くさいお涙頂戴に思えたのです。大人になってから、造花を作るお針子ミミの芸術的創造性を強調したり、ミミの死を女性の抑圧や貧困の象徴として描いたりする演出があることを知りましたが、それでも無力に死んでいくだけのヒロインを見て泣くのは、私はあまり好きではありません。
ところが、この作品にはとても心強いモテ女、ムゼッタが登場します。お金持ちのアルチンドロの愛人であるムゼッタは、自己主張が強く自分の美貌に自信があります。第二幕では別れた恋人で画家であるマルチェッロの気を惹くためにアルチンドロを振り回し、「私が街をあるけば」というとてもセクシーなソプラノのアリアを歌います。このアリアは「私が街を歩けば、みんな私の美しさに見とれる」と自信に溢れた歌詞で、ムゼッタの人柄を表しています。一方、アルチンドロはリッチですが魅力の無い男として戯画化されており、ムゼッタは金で女の心や体をいいようにできると思っているアルチンドロのような男に対して一切、敬意を払いません。
自分の意志で男を誘惑したり捨てたりする女に対して冷たい扱いをする作品が多い中で、『ラ・ボエーム』第二幕はむしろムゼッタの根性を胸がスっとするような反骨精神として描いています。ムゼッタは本気で愛しているマルチェッロに対しても容赦せず、第三幕では自分が自由な女であることを高らかに歌い上げながら嫉妬するマルチェッロとケンカします。ムゼッタは男に従順ではなく、モテ女らしい余裕に満ちています。
男に厳しいムゼッタですが、女にはとても優しい友です。病気のミミをロドルフォのところに連れてきたのはムゼッタですし、ミミのために手をあたためるマフを用意し、自分の耳飾りを売って作ったお金をミミのために使おうとし、病気が治るよう聖母に祈りを捧げます。金持ちのパトロンからはむしり取り、恋人の束縛には容赦なく毒づくのに、友だちのミミのためならためらいなく自分の持ち物を売るムゼッタは清々しいキャラクターです。ミミもムゼッタのことは信用して頼っているようですし、女の美しい友情が垣間見えます。
『紳士は金髪がお好き』
次にオススメしたいのはハワード・ホークス監督の映画『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen Prefer Blondes)です。1953年の作品で、マリリン・モンローとジェーン・ラッセルがふたりのショーガール、ローレライとドロシーを演じます。モンロー演じるローレライがピンクのドレスを着て 「ダイアモンドは女の親友」‘Diamonds Are a Girl’s Best Friend’を歌う場面は有名で、何度もカバーやパロディが作られています。
この作品は一見、お色気で玉の輿を狙う古くさいお話に見えますし、ローレライがブロンドのバカ娘、ドロシーがブルネットの賢い娘、というアメリカ映画によくある性差別的ステレオタイプが使われているように見えます。ところがこの作品ではローレライとドロシーの友情が細やかに描かれ、今でも女性に人気があります。
ローレライとドロシーは貧しい生まれで、タフで美貌に恵まれており、それを生かして出世するためお互い協力を惜しみません。ローレライは一見、お金と宝石に目のない頭の足りない浮気娘に見えますが、嫌な女としては描かれていません。ローレライはドロシーをお節介なくらい心配しており、素敵なお金持ちを親友に紹介しようとしてドジってしまうなど思いやりが裏目に出ることもあります。また、最後まで見ていると実はローレライはバカなふりをしているだけで、本当はかなり機転が利くのだとわかります。一方のドロシーは頭が良く、世間的な常識もありますが、弱点は破天荒なモテ女でいくぶんドジっ子でもあるローレライに夢中なところです。ローレライがいくら素っ頓狂な失敗をしてもドロシーは見捨てずに救いに駆けつけます。ローレライは呆れるほどモテモテですし、ドロシーも人好きのする美人ですが、お互いに嫉妬したりすることはありません。ふたりともとてもセクシーで、自分の性欲や性的魅力、モテっぷりに居心地の悪さを感じていませんが、この映画にはそうした女性の性的な自信や自己主張を断罪するようなところもありません。
『紳士は金髪がお好き』は、1950年代のアメリカ映画にしてはとても女性のセクシーさや自己主張、友情に対して肯定的です。ローレライもドロシーも自分の意志で行動し、魅力があります。時代の限界はあるにせよ、女同士の絆が熱い作品です。