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母親に趣味を禁じられたOLが戦う、「女の子らしさ」という呪縛 丹波庭『トクサツガガガ』

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図2(※クリックで拡大) 「流動化社会における都市青年文化の経時的実証研究http://jysg.jp/research.html」 より編集部作成

図2(※クリックで拡大) 「流動化社会における都市青年文化の経時的実証研究」 より編集部作成

 アニメ、漫画、ゲームを愛好する女性が相対的に少数派であることは、実は友達作りにおいてポジティブな効果を発揮しています。図2にみられるように、漫画やインターネットの動画の話題が「友達作りの役に立った」とする女性の割合は他に比べて高いという傾向がみられます。これは友達の作りやすさにつながるでしょう。アニメ、漫画、ゲームに「関心がある」としている女性だと7割を超える人が「漫画が役にたった」と回答していて、他に比べて20ポイントも多い結果になっています。つまり少数派であればあるほど、同じ趣味を持つ人と友達になる際にその趣味が役に立つと言えるわけです。

 こうした趣味に基づいたネットワークは、同級生や同僚といった人間関係とは異なり、多様性があるといわれています。偏差値などであらかじめ選別された人の集まりである学校や職場の人間関係とは異なり、個人的な趣味でつながるネットワークはより広い範囲に開かれているからです。本作に登場する仲村叶の友人も、年上の女性「吉田さん」や塾通いの少年「ダミアン」、強面の男性「任侠さん」など、みな「オタク」であることは共通していますが、性別や年齢が異なる多様な人物が登場しています。こうした人々との交流を通じて、仲村叶が特撮という自分の趣味に対してだんだんオープンになっていくのが本作の読みどころのひとつにみえます。なぜなら、それは母親の呪縛からの解放につながるからです。

なぜ母親は子供に「ピンク」を押し付けるのか

 実は叶が「隠れオタク」である理由に、「小さい頃から好きだった特撮を、母親から厳しく禁じられていた」という過去があります。自分の好きな道を選びたいと願う娘に対し、「もっと女の子らしくしてほしい」という固定的なジェンダー像を持って立ちはだかる母親は数多くの作品で扱われているテーマですが、この作品では特撮という題材を通じてその構図がうまく取り入れられています。

 本作ではピンクやひらひらしたいわゆる「女の子らしい」服装を好む母親となんとかそれを拒否しようとする叶の攻防が描かれています。その中で叶が指摘するのは「押し付け」の問題点です。とある少女とのやりとりを経て「(これまで避けてきた)ピンクそのものが悪いのではない」ことに叶は気づきます。そして「ピンクがかわいいことと私がピンクを着たいかどうかは一切関係ない」と断じ、「特撮ではなくもっとかわいらしいものを好むべきだ」と母親からピンクを押し付けられたことで「ピンクに敵意を持ってしまった」のだと語ります。

 ここでおさえておきたいのは、叶だけでなく、ピンクを押し付ける母親もまた性別役割分業の犠牲者であるという点です。「夫は外で働き妻は家庭を守るべきである」とする性別役割分業は社会が近代化する過程で成立してきたものに過ぎないとう事実は、広く知られている通りです。女性に与えられている「優しい」「暖かい」「子どもが好き」といったイメージはこの性別役割分業を起点としており、普遍的な女性の「本質」とは切り離して考えるべきものです。それにもかかわらず、私たちの社会で維持されている「女性たるもの<女性らしく>しなくてはならない」という前提が女性の生きづらさにつながっているのもまた、広く知られているところだと思います(もちろん男性も同様です)。

 こうした前提の中で、叶は「女の子らしさ」を母親から押し付けられました。しかし子どもをコントロールしようとする叶の母親の姿も、「子どもの養育に責任を持つべし」という社会から押し付けられた「女性らしさ」に起因しているのです。その人が何を「好む」かは、最終的には本人の主体的選択によって決定されるべきことがらですが、そこに「子どもの教育・養育に責任を持つ」という母親としての役割が介在してくると話がややこしくなります。自分の子が親として納得できる趣味嗜好を持たなかった場合、その責任は管理者である自分にかかってくると信じてしまうからです。

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