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母親に趣味を禁じられたOLが戦う、「女の子らしさ」という呪縛 丹波庭『トクサツガガガ』

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 家族社会学の知見によれば、「子どものありようの責任を母親が引き受けてしまう」という構図は、実際の原因の所在とは無関係に発生してしまう側面があるようです。家族社会学者である土屋葉は『障害者家族を生きる』(勁草書房)において、「障がい」を持った子を産んだ母親はその原因とは無関係に自分を責める傾向にあり、それゆえに介護や教育に没入してしまうメカニズムを紹介しています。そこにあるのは、科学的・客観的理由のいかんにかかわらず、子どもに関する事柄の責任の所在は自分にあると信じさせる性別役割分業であると、土屋は論じています。

 叶が特撮にハマればはまるほど、母親もそれを否定するようになります。これは単なる「趣味をめぐる攻防」や「お母さんが固い」ということだけではなく、我が子が「人並み」ではないという認識は母親という役割を通じて自分自身が「人並み」ではないという攻撃されているような印象を母親自身にもたらすからです。まさにこうしたメカニズムのもとで、母親は「女の子らしさ」を叶に求めているのでしょう。

母親との最終決戦はどうなるか

 「弱いものを助ける」、「友人を裏切らない」といった特撮ヒーローの教えは、男の子を対象とした文化の中で育成されたものかもしれません。しかし、その教えを実践する叶が持つ優しさにあふれた魅力は、むしろ人間らしい素直さがあるようにみえます。

 男の子向けのおもちゃを欲しがって母親から叱られた少女に、叶は「変じゃない」「好きなものを好きだと言っていい」と語ります。彼女がこうした行動をする動機は「子どもの味方をするのがヒーローだから」というヒーローの教えです。特撮ヒーローという作品を通じてつくられる人間関係には「自分の好きなものに正直である」という共通点があり、それぞれの「好み」を通じて提示される人間性やその背景が、叶だけではなく登場人物全体の魅力につながっています。

 人々との出会いを通じて自分の世界を確固たるものにしはじめた叶ですが、やはり最終的には母親と対峙し、自分の歴史に決着をつける必要があるように思えます。その先にあるのは、叶自身はもちろん、しがないバンドマンである兄と母親の救済でもあるはずだからです。作中で多くの人物を救っている特撮ヒーローの教えは、最大の敵である母親にどのように響くのでしょうか。これからの展開を楽しみに待ちたいと思います。

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