エンタメ

「国益のために産め」は正論ではない!「女子は2人以上出産を」校長を擁護のデヴィ夫人「妻となり子供を産み、母となるのが女性の本能」発言のおかしさ

【この記事のキーワード】

生き方を強制することは「正論」ではない

 まず大前提として、いつ産むか、あるいは産まないかの選択は、当事者にしか出来ないものである。国が滅亡に向かうよりは繁栄するほうが、国民である一個人にとっても生きやすいことは実際そうだろうが、国を維持するための政策をとるのは国家側の仕事であって、「国のために国民が頑張れ」というのは逆だ。人間が国のために生きているのではなく、生きている人間のために国はやらねばならないことを遂行するのだ。

 そして、女子生徒に対してのみ「子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです」と進言することも間違っている。今のところ「妊娠・出産」は身体機能的に女性にしかできない行為だが、それを理由にして女性だけが「子育て後に進学し就職する」レールに乗せられれば、大きなハンディキャップを抱えることになる。

 男子生徒に「子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです」と向けるのなら、女性だけが進学や就業の機会を遅らせ、十数年にわたり育児に専念することを想定した校長の発言には矛盾が生じる。産むことは女性にしか出来なくとも、育てることに性別は無関係だからだ。

 たとえば産褥期だけ女性が休学・休職し、その後は男性が子育てに専念するパターンも同等にあるべきと考えることはしないのだろうか。女性の生き方“だけ”を制限しようとしている校長の発言はあからさまな性差別であり、性役割を強化しようとする前時代的思想だ。

 同時に、男性に対して「妻子を持ち養うこと」を強制し生き方を制限している点も大きな過ちだ。男女どちらに対してであっても、「必ず結婚し子を産み育てよ」と命令してはならない。繰り返すが、国家繁栄のために国民に生き方を強制することは「正論」ではない。

逆張りのデヴィ夫人

 校長が上記発言をしたのは2月29日だったが、ちょうど一カ月後の3月29日、インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人でタレントのデヴィ夫人(76)が議論に参戦した。デヴィ夫人は、校長が3月末で退職することを受け、「『子供は2人以上出産』発言校長を支持します。」とのタイトルで自身のブログを更新。こちらも全文ではないが引用する。

___

女として生まれ、結婚して妻となり、子供を産み、
母となること。これは、女性の本能。
様々な事情はあるでしょうが、これが叶わなかった人が
「仕事が命」とかいろいろ言っているのではないでしょうか。
結婚もせず、妻とならず、母となることもなく、
人生を終える人は不完全燃焼でしょう。

(中略)

女性に生まれたのに、結婚もせず、子供にも
恵まれない人がいる一方で、妻となる喜び、母となり、
子供を育てる幸せは何物にも勝る至福でしょう。

日本は少子化の一途をたどっています。
人口激減は、国の存立問題でしょう。
その為にも、安心して子供を預けられる保育園の
普及が大事です。日本の将来を考えて、
何とか少子化を防ぎたいとの思いの思慮深い
国益を考えての発言だったのではないでしょうか。
___

 「結婚して妻となり、子供を産み、母となること」が女性の本能と言い切ってしまえるのは流石デヴィ夫人といったところだ。都合よく本能論を持ち出すのはいいが、仮にセックスをして妊娠し出産することが本能だとしても、すべての女性が本能のままに生きれば国は繁栄するどころか逆に滅びるのではないだろうか。それとも女性は本能によって、夫となる男性を支え家庭を守り子供の教育に精を出すことまで可能な生物なのだろうか。

 こうした一見、女性賛美ともとれるような本能論は、出産や育児を「女性の問題」に押し込め、男性を疎外する点においても害悪だ。いまさら言うまでもないことだが、「結婚して妻となり、子供を産み、母となること」は女性の本能ではないし、「妻となる喜び、母となり、子供を育てる幸せは何物にも勝る至福」でもない。あくまでデヴィ夫人ご自身にとって、それが本能的な行動であり、至福であったのだろう。

1 2 3

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。