家庭内でのイジメ、虐待…子供を愛せない親に育てられた元子供「産んだら愛せるって!とは思えません」

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 古風な価値観が根強い小町でこのような投稿をしてまた一波乱起こるのではないかと心配していたがそれは杞憂だった。子供を持ちたくない女性や夫婦に対して、“子供を持つこと”をすすめる人たちは、人の様々な事情に対して想像力が欠如しているというニュアンスのコメントが並んだ。

「自分がよかったから押し付けてくる、想像力欠如の無神経おせっかい」
「自分の経験から得た考えを人に押し付けるのは、その人の視野が狭く想像力がないから」
「例外なんていくらでもあるのは現実を見れば明白なんですが。そういうこと言う人は想像力に乏しいか、良いことだけを信じたい人なんだなと、残念な人だなと思います。思慮深い人、視野が広い人はそういうこと言いませんし」

 日本の「一人の女性が一生のうちに出産する子供の平均数」は、戦前は4人強だったが1970年代がほぼ2人、2014年は1.42人で、いわゆる「少子化社会」となっている。これだけ出生率が下がっている昨今、子供を持たない女性や夫婦は珍しくはないわけだが、どの夫婦にもそれぞれの理由がある。また、持たないのでなく持てない状態の女性も存在する。にもかかわらず、「子供はまだ?」という言葉は、かなりハイレベルなNGワードだ。そのことに思い至らないのか、あるいは「でも産んだ方がいいに決まってるじゃない!」と自らの正義を押し付けているのか、いずれにしろ思慮が浅いことは間違いない。

 しかし他人の思慮深さを期待しても無駄なもので、トピ主ならずとも、ある年齢になれば、また結婚すれば、多くの女性がこうした押し付けがましい「子供はまだ?」攻撃を受けている。未だにである。本当にやめてほしいものだ。このような攻撃をどうやってやりすごすか……。

「子供作れ、産めという人は一定数います。特に『作らない』は彼らには許せないようです。子供がいなくて、精神的にも経済的にも苦労しないのはズルい 生活にゆとりがあってずるい が根本にあるからです。だから、安易に『作らない』と言ってはダメです。『欲しいんだけど、授かりものだから』で言葉濁すこと。不妊治療について聞かれても『そういうプライベートな話はちょっと』といって答えない。子供ができなくて苦しんでるのは許せても 子供作る気なく悠々と暮らしてるのは許せないのがそういう人の心理です」

 なるほど。自然分娩・母乳育児礼賛のように“産み育てるためには苦労してナンボ”の無駄な根性論がこのフェーズでも息づいているのかもしれない。

「この様な言葉を投げかける人達でも妊娠中や育児中にいろいろな不安や恐れを感じるものです。何も感じない人は子供や自分自身に対して未来や将来についての想像力が欠如している人達です。初めから母性を持っている訳ではありません。多くの女性は子供から少女になり女になり、母になる過程で徐々に母性を育んでいくものです。トピ主さんの『子供をつくらない』という判断とは別に、トピ主さんはトピ主母とは別人格であるという事実を認識して、今からでも母性を育てていくのも遅くないと思います。

 サン・テグジュペリ の小説『星の王子さま』に『でもきみがぼくをなつかせたら、ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる。きみはぼくにとって、世界でひとりだけの人になる。ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる』という台詞があります。世界でたった一人の存在だから愛憎が深くなるものです。”虐待しそう”と”愛しそう”は表裏一体の関係だと思います」

 色々うまいこと言ってる感じだがよくよく読むと疑問を感じる。母性とは一体何なのか? それこそ、子を産んだ親が自分を納得させるために作り出した後付けの概念なのではないだろうかと筆者は思ったりもするのである。

 子育ては途中で放り出す事の出来ない息の長いプロジェクトである。遂行するために自身を鼓舞する必要が時にはある。そのために使われる言葉なのではないだろうか。また同時にこの言葉は子を持つ女性には母性があるはずであるという思い込みも世の中に植え付けるため、産んだはいいが子に愛着を持てない人々がその思いを周囲に相談しづらい状況を生み、最悪の結果として、子への虐待も生まれかねない。実際、トピ主の親に母性はあったのか? 母性というものが女性の成長とともに自然と身に付くのであれば、トピ主はこんな思いを抱えていないはずではないか。

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