「『演歌』のジャンル化は、一面では過去の恣意的な誤読であり、流用の結果である」
輪島裕介『「演歌」の誕生』(東谷護・編『拡散する音楽文化をどうとらえるか』勁草書房より)
日頃、政治の動きに対して手厳しく突ついていく週刊誌を覗いても、国会議員が集って演歌を盛り上げようと意気込む不可思議な流れを大々的に疑問視する記事は見当たらない。高齢化する週刊誌の読者層と演歌を愛する層は合致している、という邪推は恐らく当たっている。振興策を検討する段階なので具体的に税金を使ったというわけではないが、週刊誌の口癖「オマエら税金の使い道考えろよ」という声がさかんに聞こえてこないのは寂しい。
そもそも、演歌にさほど「伝統」はない。上記に引用したように、演歌というジャンルはあくまでも流用から生まれている。1960年代後半に、「衰退しつつあった主流的なレコード歌謡のある側面を強調して新たに名前を与えたもの」に過ぎない。この輪島の論考は、日本の大衆音楽が演歌を主流として築き上げられてきたとする歴史観など誤謬である、とキッパリ断じている。つまり、今回の件は、名を連ねている国会議員が若かり日々を追想しながら「伝統」と言い張っているだけのように思える。個々人で嗜む分には大いに結構だが、会合を開いて政治でどうにかしようなんて、論外である。
2月上旬、五木ひろしが遠藤利明五輪相を訪ね、半世紀前の東京五輪で流行った「東京五輪音頭」を再び作りませんかと提言している。それに対し、遠藤五輪相は「五輪音頭で盆踊りをした経験を紹介し『スポーツに関心がない人でも五輪とのつながりができる』」(2月9日・スポニチ)と答えている。日本の伝統を背負う音楽を大切に、と理解し合っている。しかし輪島の論旨を踏襲すれば、「演歌」というジャンルは1964年の東京五輪の時点では存在すらしていない。「国民的な文化」と言い張るには無理があるのだ。オレたちの思い出に過ぎないのならば、それは、国民に選ばれた職務の一環としてすべきことではない、と苦言を申し上げたい。