企業と共に歩む労働組合
戦後、企業経営の目的が国家目的の達成から、企業の収益アップを通じた成長へとシフトしても、企業の組織体制は国家によって管理されていた当時のシステムを引きずっています。
日本企業の多くが垂直的なピラミッド型の序列構造を持つのも、違法な長時間労働さえもいとわない「滅私奉公」のサービス残業がはびこるのも、「勤労は国家に対する責務」であった時代の負の遺産なのです。
また、国家による企業の「軍隊化」は、経営者、管理職、労働者すべてが「国家目的のための従業員」という考えを企業の中に浸透させるものでした。そしてこうした考え方は、戦後の「労働組合」の在り方にも大きな影響を与えています。
欧米の労働組合では「職長」や「係長」は「雇用者」側の代表と認識され、組合員資格は与えられません。欧米におけるブルーカラー労働者はあくまでも「賃金労働者」であり、管理的仕事をするホワイトカラーとの差別化は当然のこととみなされています。したがって、欧米の労働組合は、企業ではなく、同業種のブルーカラー労働者どうしの結束により、業界全体での待遇アップを目的にしています。
しかし、日本の労働組合はむしろ「企業内従業員組合」ともいうべきものです。
1947年に東京大学社会科学研究所が行った調査によれば、日本の労働組合の場合、管理職もそうでない一般労働者も、企業ごとに上から下まで従業員を取り込んだ企業内組織で、課長でさえ正式メンバーとして認められている組合もありました。
日本では、企業の「軍隊化」によって、ブルーカラー労働者も企業の「正規の構成員」として扱われていたため、欧米に比べてホワイトカラー労働者との格差は小さいものでした。しかし、「正規の構成員」という意識があったからこそ、日本のブルーカラー労働者はホワイトカラー労働者との間の差別待遇を解消すべく労働運動を展開していきました。日本の労働組合は、所属する企業をよりどころとしながら、賃金や労働条件をその企業のホワイトカラー労働者のそれと近づけるべく交渉していったわけです。
社会全体、業界全体でホワイトカラーが「中産階級」、ブルーカラーが「労働者階級」を構成する欧米のような階級社会であれば、社会運動は「労働者階級」としてのブルーカラー労働者全体を巻き込んだ企業・業界横断的なものとなりますが、日本では戦間期における企業の「軍隊化」のプロセスを通じて、ホワイトカラーもブルーカラーも、等しく重要な生産人とされたがゆえに、表面的な階級要素が排除され、社会運動としての可能性を狭めたのです。
それぞれの国に、労働運動が挫折したり成功したりした理由はありますが、日本における労働組合・労働運動が社会運動として挫折した背景には、労働組合が「企業内従業員組織」となってしまっていたことがあるのです。「その企業に所属する正社員のための従業員組合」なので、社会における労働者全体の権利や雇用を守ることを通じて「労働者階級」の生活を向上させ、身分制度を撤廃するような、社会全体を見据えた運動とはなりえなかったのです。
そして、今や日本の労働組合は、すべての労働者の権利を守るためではなく、企業の成長を第一としたうえで、賃金や労働条件の改善を求める非常に妥協的な姿勢をとる、「経営目的」達成のための一組織です。日本で労働組合が下火になっていった背景には、こうした企業経営者に対して妥協的な姿勢や、「企業内正社員」以外を排除するような態度も一因だったのではないでしょうか。
戦時中に「軍隊化」された企業を背景に成立した「企業従業員組織」としての労働組合では、非正規の多い女性労働者を巻き込んだ組織にも、社会全体を巻き込んだ運動にもなりにくいのです。次回は、日本がいかに女性を「非正規労働力」として都合よく取り込んでいったのか、紹介したいと思います。
参考
菅山真次2011『「就社」社会の誕生-ホワイトカラーからブルーカラーへ』
加藤祐治、1987『現代日本における不安定就業労働者』
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