政治の世界にはびこる性差別 女性が「本当の人間」になって70年、いつ「女性議員」という言葉はなくなるのか

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問題意識は怒りから生まれる

 2014年10月から2015年2月に、都内の女性市町村議を対象に行われた調査によると、セクハラを受けた経験のある都内の女性議員は全体の31.8%に及ぶ。「早く結婚しろと何度も言われた」「足やお尻を触られる」「産休を取ったら選挙ポスターに『びっち』と書かれた」など、目も当てられないような行為が例に挙がっていた。それでも被害者は有権者との関係や評判について気にしてしまい、声を上げづらいという。

 問題はセクハラだけではない。出産や育児などのライフイベントと政治活動との両立は、非常に大きな問題として女性議員の前に立ちはだかっていた。議員は雇用された労働者ではないため、労働基準法の対象外である。すなわち議会で定めない限りは産休も育休も制度自体がない。子育てによって出馬を断念せざるを得なかった人もいる。育児の都合で地域の会合を欠席すれば「子供が生まれたら顔も見せない」と言われ、出席すれば「母親が夜に出歩いていいのか」「旦那のご飯はちゃんと作っているのか」などと口を挟まれる。冗談じゃない。

 まず、現状を知らねばなるまい。仕組みがおかしい、意識がおかしい、そういう問題提起をひとつひとつしなければならない。この政治には、怒っていいのだ。知らなければ怒れない。怒らなければ問題意識が生まれない。興味を持って政治参加できなくても良い。大事なのは、「政治を他人任せにする」ことに危機感を持つことである。

「女性議員」という言葉がなくなるまで

 ここまで書きながら、ジレンマに襲われている。「男性」「女性」という言葉の区別について。私は男女という区別を精神に関して使用することを嫌っている。しかし男女という体の形の違いは人間の社会的なあり方に着実に影響し、政治というごく社会的な場所では、その壁がめきめきとそそり立っている。ぐえー。

 前述の東京都内女性議員アンケートで、「女性議員がいて良かったと思う点はなんですか?」という質問があった。女性の方が意思決定が早いとか、男性は気にもとめない内容を取り上げられるとか、あまりにも巨大な主語で人をくくった言葉が並んでいた。多様性を考えない意見に顔をしかめたくなる中で、最後にこんな回答が取り上げられている。引用しよう。

「『女性ならではの目線で』などと言いますが、細やかな視点を持つ男性は、世の中に大勢います。日常生活の中の細い問題を取り上げることができる点を女性の特徴ととらえ、それを女性議員を増やす理由にしているのなら、それは逆差別だと思います。天下国家について男性を相手に対等に議論するような時代が来なければ、状況は何も進展しないと考えています。」

 ……言いたいことは分かる。女性議員に「女性」議員という役割を期待してしまったら、政治の世界のジェンダー差別は全く解消されない。一方で男性に対抗するために「立ち上がれ女よ!」と女性のみで団結しようとする呼びかけは、間違っていると思う。ジェンダーによる差別をなくすためにジェンダーごとで団結したら、ジェンダーを越えた理解は得られにくいからだ。男に対する女、という図式自体を、もう塗り替えないといけない。

 これまでの流れを批判する気はない。実際社会は男女二元論で動いてきたし、そんな中で男性ばかりに偏った政治の世界を変えるためにたくさんの人々が戦ってきたことを本書で学んだ。他にやりようがあったとも言えない。でも、これから先もずっとこの発想を引きずっていくのは健全ではないはずだ。

 まだこの国は変わらないだろう。でもいつか、この差別にまみれた抑圧の政治史が、「昔は『女性議員』なんて言い方があったんだよ」と冗談めかして語られる世の中が来ることを私は願う。国のあり方を考える時、体の形は関係ない。私は女性である前に私だと言いたい。あなただって性別以前にたった一人のあなたなのだ。すべての人がそう思えるようになったなら、この国の政治は一つ上のステージへ上がれる。「女たちの情熱政治」は、そんな美しい未来のための踏み台として、必読の一冊である。

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