マイノリティのニーズは「わがまま」なのか
著者自身の話でたいへん恐縮だが、SRS(性別適合手術いわゆる性転換手術)はもちろんホルモン投与すらできていなかった十代から二十代の頃、自分の属するコミュニティではまずひと気のないトイレを探すのが課題だった。これは、まだトランジションの過程にすら入れてないため、客観的に見て「男性」に分類される外見で女性用のトイレに入るわけにもいかず、かと言って男性用に入ることで自分の社会的な分類が強化されることへの拒絶もあり……という困難を抱えていて、人目を忍んでいたからである。
わたしが2000年から明治学院大学に通っていた当時、男女に拘らず利用できるトイレの設置を求めた経験がある。一年目は事務局に相談し、二年目になってそこからセクハラ対策委員会という機関を紹介された。そして三年目に、委員会のメンバーである教授に聞き取りをしてもらって、ひとりで嘆願書を作成し、やっと学内のトイレ設備の一部をジェンダーなどによる区別がない「だれでもトイレ」として開放してもらえるようになった。
今ではオストメイトや車椅子を日常的に使用している人にも配慮した、共用やバリアフリーを目指したトイレが公共設備でも見られるようになってきた。それでもいまだに、基本的にトイレの使用は男女のジェンダーを基に区別されることが多いのが現状である。つまり、見た目が望みの性と一致していないトランスジェンダーは利用しづらくなる。もちろん、男女別トイレの背景には主に女性トイレに対する盗撮問題などもあったりするのだが、そういった懸念がクリアされた、誰もが安心して排泄できる場所作りは、災害という緊急時であっても要求されてしかるべき課題だと思う。お腹がユルかった子供時代が影を落とし、いまだに男性用トイレで個室に入るところを見られたくない、という話を知人男性から聞いたこともある。
トイレに行けないということは排泄を我慢するということであり、排泄の頻度が減るように飲食を控えた結果、脱水症状に陥る被災者の話も聞く。
こうした極個人的かつ生理現象に関わる領域についての課題は、入浴やシャワー、プライベートスペースの確保などにも通じる。わたしがトランジションする前の状態で被災し避難所生活を送るとしたら、見た目では男性とカテゴライズされるわけなので、男性向けの場所に……と規定されてしまうと利用がためらわれ、控えるようになるだろう。しかし、入浴や湯浴みは身体の清潔のためであるし、精神状態がリラックスする効果もある。また、トランスジェンダーは裸を見られたくなかったり、MtFの場合、体毛の処理など男性的要素を日常的に取り除かないと精神的に不安定になりやすい。避難所でパーテーションを利用することで、他の被災者の目を気にせず、心理的に解放される時間も必要だろう。
復興に向かう以前の避難中の状況では特に、まず生命の安全を確保することが必要になる。その根幹にあるのが、避難所で配給される衣食住に関する物品であり、食事、睡眠、排泄などの生理的な活動が可能な施設作りだろう。その上で避難生活をより快適なものにしていくことが重要だ。これらは、性的マイノリティであろうがなかろうが関係なく、誰もに等しく供給されるべきものだ。
先に書いた福島出身のMtFの知人は、東日本大震災時に父と兄が福島第一原発に勤めており、母親含め行方不明になっていた。そのため、彼女は携帯電話で生存者リストを確認し、3月後半には単身現地入りして捜索していた。当時の彼女の容貌は男性的な要素が少なくはなく、化粧などしても男性性が出ていて「女装」と嘲笑されることも多かった。日常的にそういう不理解や蔑視の目にさらされているうえ、避難所巡りという、見知らぬ人と関わらなければならない状況に置かれ、より一層ストレスを受けていた。
ゲイやレズビアンや、そのほか婚姻制度や典型的な家族制度に当てはまらない人間関係を持つ人間も、大事な関係を結ぶ人間が被災したとき見舞ったり捜索するにあたって必要な手配があるだろう。どうなされるべきか詳しくは思いつかないけれど、捜索者のリストや避難所を管理する側に性的マイノリティにサポーティブな姿勢の人間がいて、それがわかる仕組みになっていれば、当事者が相談しやすくなるだろう。
災害時は、いずれの被災者にも精神的な負担が強くかかる。とりわけ、子供はセンシティブな心理を言語化するのがむずかしい傾向にあるため、より丁寧に注意深く対応されるべき存在だ。加えて、その子供が性的マイノリティであったりすると、負担が見えづらい。こういった心理状態をケアするための支援へのニーズは検討されるべきで、個人のわがままと切り捨てないでほしい。