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少女監禁事件をネタで消費する二次加害者たち 他者の痛みに蓋をする社会を浮き彫りにする『ルーム』と『スポットライト』

【この記事のキーワード】

「忘れてしまう」ことで被害者を受け入れない社会

7年ものあいだ天窓しかないたった6畳程度の部屋で、金曜日に犯人が持ってくる物資に頼るという異常な環境において生き長らえ、子どもを育てたのは彼女の生き物としての生存欲求の結果である。それを否定することは彼女に惨たらしい死を強要することと同じだ。もし監禁生活のあいだ、息子を病気やけがで失ってしまったらどうだろう。その不運に彼女は耐えられただろうか。日々、人間的に成長し続ける息子は絶望的なその環境において彼女の心に唯一明るさを与えてくれていたはずである。その息子を守るために必死で彼女がその環境に適応しようとした努力を逆手に取り、無責任に揶揄することは安全地帯にいる人間の傲慢な行いと言える。

心ない言説を二次加害だとする抗議の声も多く上がったが、その中には「世間はもう事件があったこと自体忘れてしまっていい」「もう何も報道しなくていい、私は知りたくないから」「心ない人間にネタを提供するだけだから報道は控えて」といった意見も見受けられた。

その言葉を聞いたとき、果たしてそれが正しいのか私は疑問を持った。犯罪に巻き込まれた被害者たちが、無責任な第三者たちから下卑た好奇の目で見られるからといって、なぜその存在を隠し出来事そのものも「なかったこと」にしなければいけないのか。

もっと言ってしまうと、「あったこと」を「なかったこと」にしようとする点においてそれは、犯人と被害者の間に親しい人間関係が生まれて「彼女の意思に反した犯罪行為は存在しなかった」としたり「この手の犯罪は下卑たジョークにできる程度の重さしかない」とする姿勢と根本的に同じことだと思うからだ。

被害経験を語り、法律を作り出したサバイバー

米国では略取監禁された被害者たちの多くが、名前と顔を見せて自分たちの被害の詳細とそれを乗り越えた経験を多くの人に向けて語っている。そのうちの一人がピッツバーグ在住のアリシア・コザキヴェッチさんだ。

彼女は13歳だった2002年の新年の晩、ネットで知り合った男性に誘拐、監禁された。家族ととても良好な関係だった彼女には家出をしようという意図などなかった。ただ当時、ネットで出会った人間は悪意を持って身分を偽る可能性があると児童に教えてくれる人がいなかったのだ。同世代のチャーミングでこちらの気持ちをわかってくれる優しい男の子がいると思ったその待ち合わせ場所には10代の性奴隷を所有したいと夢想していた40代のコンピュータープログラマーである中年男が車を用意して待っていた。

そしてアリシアは誘拐された。男は自宅の地下室に彼女を押し込んで殴りレイプしそして拘束した。彼女はその内容をもっと子細に語っているのだが、読者の中には何らかのフラッシュバックを起こす可能性のある方もいると思うので、詳しくはリンク先を参照いただきたい(英文)

監禁されて4日目、犯人による加害行為のネット中継と彼女の捜索ポスターを両方見ていた人がFBIに通報したことで彼女は救出された。それは犯人が仕事から帰宅する数十分前であったという。その日、アリシアは初めて食事を与えられ、男から「俺はお前を好きになり過ぎた。明日は遠出しよう」と言われ死を覚悟していた。児童誘拐には多くの捜索情報を拡散させる、初動の迅速な対応が重要であることをあらためて認識させられる。アリシアも「もし児童の捜索情報を見かけたらどうか注意して見てほしい」と強調する。

アリシアは14歳から学校に復帰し、同時に他の学校に赴いて同世代の生徒たちに自分の経験を話し共有する活動を始めた。彼女とその両親は事件後、児童がインターネット上で危険にさらされる現状を変え、他の子どもたちや家族を守ろうという誓いを立てたからだ。それは14年後の今も続けている彼女のミッションである。

これができたのは彼女が特別に強い被害者であったからだろうか。アリシアはこうも言っている。

「現在も私に起こった出来事を知り、ショックを受け理解できない人はいます。悲しいことですが単純にそういう人たちは被害者を責め始めるのです。しかし一方で愛情を持って私を支えてくれた人たちはたくさんいました」

アリシアの活動は実を結び、ICAC(児童に対するインターネット犯罪)捜査班への継続的予算の分配を州に義務付ける法律が成立、彼女の名前が付けられた。アリシア法は現在ヴァージニア、カリフォルニアなど複数の州が制定している。

アリシア自身の言葉によって語られたその経験を読んで私は思った。日本のインターネットに未成年者を性的に搾取する文言を「ジョークだ」「フィクションだ」とうそぶいて恥じない空気がまかり通っているのは、この国に生存者が非難されずに自分の被害と回復の経験を語る場がなく、ただ好奇の目を満足させるメディアと自己中心的な憶測に基づいた卑しい言い分を書き連ねるネット空間しかないからではと。それくらい彼女の経験を語る言葉は現実の重みとそれを克服してきた尊さを感じさせるものだった。

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