「KABA.ちゃん、性別適合手術で女性になれてよかったね」という報道に社会的意義はあるのか

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トランジションは自己責任なのか

KABA.ちゃんの話に戻ろう。密着取材でKABA.ちゃんは、SRSや戸籍の性別変更について「やってみないとわからない」と言っていた。これにはわたしも同意する。体毛を除去したことではじめてショートパンツなど足を出す服装を避けていた自分を知ったし、何かの拍子に下半身が露わになって下着越しの男性器を見られることを恐れ、性器の形を変えるまでスカートを履けなかった。女性としてパスできるようになると、多くの人にとって見た目と低い声とのギャップが違和感をもたらすのだと気付き、無用な訝りを避けるために多少トーンを高くするようにもなった。

蔑視や嘲笑など他人からのネガティブな視線を変えるには啓蒙が必要だが、現実は一足飛びにはどうにもならない。だから、トランスジェンダーの当事者ひとりひとりにとって「ちょうどいい」ところまで、トランジションの過程をひとつずつ踏んでいくことも、現実的に必要になる。その効果は相手次第というところも大きく、だからそういう意味でも「やってみないとわからない」。

しかし、トランスジェンダーにとっての性別移行は、自己実現だと思われがちだ。だからサポートが必要な対象と見られにくく、自己責任に帰結されやすい。当事者自身も、そういった社会の空気感を内面化しているところがある。KABA.ちゃんも、手術について「自分で決めたことだし」と言い、姉との関係に話が及んだ際も「こんなあたしが自由に生きていることもちゃんと受け入れてくれてるし」と、ひたすらトランジションをすべて自身の咎のように引き受けて見える。

再三わたし自身の話で恐縮だが、手術に対して「良かったね」という言葉をかけられたこともあるけれど、その無邪気な祝福の声に微妙な気持ちを抱いていた。なぜなら、身体に深い侵襲をもたらす手術であるし、そのために百数十万ものお金を賭さなければならなかったし、比較しようがないけれど、やらなくて済む人生ならそのほうが良かったかもしれないと思うところもあるからだ。そうまでして変わった身体は生まれながらの女性とはやはり異なる、にもかかわらず、そうせざるを得なかったのだ。

MtFが整形を受ける場合、顔そのものには機能的な不備はないけれど、「男性と見なされる」顔立ちによって偏見にさらされ、社会活動に制限がもたらされるという意味で、障害が生まれる。それを取り除くための医療行為として整形の正当性が担保されると考えられる。けれどここに、美醜の価値基準のもとの自己実現という側面が絡みやすい。水商売などを生業とする「ニューハーフ」という在り方について、テレビ番組などメディアで、整形費用についてやノー整形であることがおもしろおかしく取り上げられる。無論、彼女たちの生き方を否定するつもりはないが、その余波で、トランジションが自己実現と見なされやすいとも言える。美容のためか、健康な生活のためか、整形する場合どこまで必要か、当事者個人だけでは線引きがむずかしい。そのとき、その整形手術に医療的正当性があるのかどうかを一緒に考える存在が必要だとわたしは思う。

精神面、身体面それぞれを横断して、トランスジェンダーに対するケアが充実されなければならない。トランジションするうえで、どういった医療技術があり、どういう変化がもたらされるかという情報を供給し、どういった形に寄せていけば良いのか考えるうえでのロールモデル探しに協力する。そのために、医師たちが症例を蓄積し、適宜、参考として当事者に教え伝え、共に考えるべきではないだろうか。

めでたしめでたし……?

KABA.ちゃんがバンコクで手術をしたように、多くのトランスジェンダーがタイに向かう。それは、圧倒的に手術量が多く、つまり概して技術面でクオリティが高いからだ。その一方で、トランスジェンダーのコミュニティ内で、「あそこの病院がいいらしい」といった内輪での情報をもとに、タイへの渡航が続いているという可能性も高い。実際、SRSは繰り返し行うものではなく、美容院のように比較検討ができないから、周囲の経験者の声を参考にするだろう心理は容易に予想がつく。その口コミに頼って手術した結果、不満に終わる話もよく聞く。他言語で手術説明を受けることのリスクがないとは言えない。

しかし、日本ではジェンダークリニックも執刀医も不足しているという声を聞く。また、トランジションの過程で知識や知恵が不足し、協力者が少ないだろう若いトランスジェンダーが置かれている状況では特に、学校における制服、生来の戸籍上の名前を基にした名簿、そこから派生して「くん/さん」と敬称が使い分けられる点呼、など、社会において考えるべき課題は多岐に渡る。

こういった日本の現状を伝えることなく、ひとりの人間が自己実現のようにSRSへと向かった、めでたしめでたし……に終始して見えた『ノンストップ!』でのKABA.ちゃんの密着取材に、果たしてどれだけの社会的意義があるのか? と首を傾げ、彼女の行く末を祝福したいと思いながら、仄暗くも見えてしまうのだった。

最後に。KABA.ちゃん本当にお疲れさまでした。お大事になさってください。
鈴木みのり

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