「歴女」「仏女」「山ガール」 女性の趣味にはなぜ名前がつくのか

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NHKオンデマンド「天地人」ページより

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私は、「歴女」という言葉が嫌いである。

なぜ女であるというだけで、「歴史好き」ではなく「歴女」になってしまうのだろう。「男なら一人前の歴史好き、女ならまだ歴女」と言われているような気がして、どうにも我慢ならない。若い女で歴史が好きというだけで、戦国武将をキャラクター化したゲームやアニメから入ったにわか歴史ファンだと決めつけられているような文脈を感じたこともあった。しかもその言葉で傷ついたとしても、たいてい相手には悪意がないので、苦笑いで受け流すほかない。

人が何を好きになって、どんな趣味を持つのかということに、からだの形は関係ない。

いつになったら、歴女という単語がなくなるのだろうか?

今回は、カルチャーとジェンダーの関係について、「歴女」という言葉から考えていきたいと思う。

2009年が「歴女ブーム」絶頂期

まずは歴女ブームの流れを追ってみよう。

「歴女」という単語は、ファン自身が名乗った言葉ではなく、メディアによって名付けられた呼称であろう。「メディアによるクラスタのパッケージ化」とでも呼ぶべきだろうか。調べてみると、2008年ごろから歴史ブームに乗じて現れた歴史好きの女性タレントたちが「歴ドル」として売り出されたところから転じて、「歴女」が生まれたらしい。

言うまでもなく以前から歴史好きの女性は存在した。それが「歴女」という言葉が作れるほどにブームとなったのは、2005年に発売されたカプコンのTVゲーム「戦国BASARA」が発端である。この作品は、美しくデフォルメされた戦国武将キャラたちが超人的な力で戦う内容の格闘ゲームで、若い女性を中心に「戦国武将ブーム」を引き起こした。アニメや漫画などのメディアミックスが展開され、ファン層は瞬く間に拡大。同作が流行した2000年代後期、武将ゆかりの地を巡り、歴史関連のイベントに足を運ぶ女性たちの姿が急激に増加する。

これを起点とし、2007年の彦根城及び熊本城の築城400年記念祭や、2009年の大河ドラマ『天地人』などの歴史コンテンツブームがあったことも相まって、いわゆる「歴女ブーム」は2009年に絶頂期を迎えることとなる。

その後、ブームは収束したが、「歴女」という言葉は世間に定着したのであった。

「歴女」とは誰のことなのか

ウィキペディアによると、「歴女」という言葉は、当初はキャラクター化された武将へのオタク的嗜好を持つ女性を指して使われていたらしい。それが同時期に、使い勝手のいい言葉だったのだろう、大河ドラマや歴史小説などをきっかけに歴史好きになった女性にまで意味が及ぶようになったようだ。

ここに問題がある。現在「歴女」という単語には、2つのクラスタが含められているという点だ。すなわち、「キャラクター化された武将へのオタク的嗜好を持つ女性」と、「単に歴史が好きな女性」を、「歴史」「女性」という2点のみを抽象して、「歴女」という同じ名称にぶち込んでいるのである。両者は重なる部分もあるが、歴史へのアプローチの仕方が別物だという点で異なっている。同じ「歴女」でも前者と後者では会話がまったく噛み合わないこともあるだろう。

そのため人によって「歴女」の解釈が異なる可能性がある。ある人にとっての歴女は「戦国武将ゲームが好きな女オタク」かもしれないし、またある人にとっては「普通より歴史に詳しい女性」かもしれない。言葉として定義がふわふわしたまま今に伝わっているのだ。

「普通の女性は歴史に興味を持たない」!?

ジェンダーの観点でも、また乱暴な定義という意味でも、「歴女」という言葉には問題だらけのように私は感じる。なぜ、このような言葉が作られてしまうのだろうか。「歴男」が生まれず、「歴女」が生まれる理由は、いったいどこにあるのだろう。

女性の趣味人に対し女性であることを強調した名称をつける例は、歴女の他にも多数見られる。仏像好きの女性に対して使われる「仏女」、登山を愛好する女性を指す「山ガール」がそれに該当するだろう。さらに趣味以外の面で言うと、理系の学問を専攻する女性を「リケジョ」と呼ぶ例も世間に広く浸透している。

実は、これらの言葉が流行したのは2008年〜2009年の期間に集中している。2009年といえば、「草食系男子」「肉食系女子」が流行語となった年だ。これらの単語のすべては、「ステレオタイプイメージからの逸脱」を示している。すなわち、「普通の女性は仏像に興味を持たない」「普通の女性は登山をしない」「普通の女性は自分から男性にアプローチをしない」、また「普通の男性は女性に対して積極的である」という「あるべき姿」が前提になっているのだ。

歴女という言葉も、「普通の女性は歴史に興味を持たない」というステレオタイプに対する反証として、メディアが意義付けたものだと言えよう。

この考え方は、文化をダメにする。歴女という言葉がある限り、歴史を愛する女性はブームから生まれたイレギュラーにしかなれない。文化は人と出会って進化するし、人も文化に出会って進化するものだ。趣味に性別のステレオタイプイメージを付与することは、文化の持つ多様性を殺す。

さて、原点に立ち戻ってみよう。歴女という単語はいつなくなるのか?

悲しいことだが、まだ当分はなくならない。「歴女」を名乗っている女性歴史ファンがまだたくさんいるからだ。まだ問題意識を持っている人が少ない。Twitterのアカウント名検索で「歴女」と入力すると、歴女を名乗る人のアカウントや歴女志望を称する人などがどんどん現れる。それでいいのかよ、と思う。歴女はブランドでもなんでもなく、今世間に存在するジェンダーと言葉への意識の低さから生まれた歪みではないか。確かに歴女と呼ばれた人たちが地方経済を潤したりイベントを活性化させたこともあったが、その経済効果を長続きさせるには、歴女という言葉は将来的に必ず邪魔になるはずだ。

今までカルチャーを侵食してきた性差別も、言葉選びへの無神経さも、これから少しずつ改善されていくと思う。いや、されなければならない。そのためにも、歴女という文化は見直されるべきだ。言葉は刃であり、意味の該当箇所をそれ以外すべてから切り出すものだ。不用意に使ったその言葉が、傷つけなくていいものまで傷つけているのではないか。そういう視点から生まれてくるものは、決して少なくないと思う。

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