ご飯は家族一緒に食べたい? 食卓と家族の現在を探る

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家族そろっていただきます!

本書後半の[分析編]では、著者それぞれの研究的関心から、[基本編]で明らかにされた、現代日本の食に関して人々がどのような考えを持ち、どのような行動をとっているのかを踏まえながら、その背景を分析している。

その中で、大きく扱われているトピックの一つとして「共食」というものがある。家庭の食卓で、家族そろってご飯を食べましょう、という風に、食や食卓に関する考えを構成する概念だ。

その共食が、失われてきているという声がある。その声は、政府の政策としても、2005年に施行された食育基本法に基づく、食育推進基本計画の中で、週当たりの共食の回数の目標値が示されるようなかたちで現れている。

この共食、すなわち、家族とどれくらい一緒に食事をしているのかに関して、本書で分析された調査から引き出されたのは、「多くの人は共食をしたいと思っているが、できていない」という実態だ。

つまり、多くの人は共食に価値を見出している。そして、これも調査の分析から導き出されているのだが、人々は、共食=食事をともにすることを通しての「家族団らん」に価値を見出している。

本書はここから、家族の生活の中に共食以外で、家族団らんになるものはないか? と問うたり、共食の意味の根拠は現代社会においては意外に脆弱で見えにくいのではないか、と指摘しつつも、あらためて、これだけ多くの人が共食を望んでいるのに実現していない現状に立ち返り、それはなぜなのか、どうやったら共食は実現できるか、という方向へと議論を進めている。

調査の分析から出てくるのは、社会経済的な変化と共に、家族の生活時間のズレが生じ、共食が実現しにくくなってきたということだ。男女の労働のあり方が変化しなければ、家族が食卓(ここでは夕食の席)に揃うことは、多くの人にとって難しい。もはや、家族の意識だけでどうこうなるものではないのだ。

家族が共食をするために、労働のあり方を変える、など実現不可能に思えるだろうか? 話がここまでくると、家族で共食する(/したい)ことの前提となる、なぜ家族を作る(/作りたい)のかについて、家族を作らない人が多くなっている現在の状況と合わせて、考えてみないといけないだろう。

共食以外にも、国家によって「食育」の旗が振られてきたが、人々の食を通しての健康意識は高まっていない(なぜか?)という分析や、男性が食事作りを日常的に担うようになるのは「和食」が大きく変化を遂げた時ではないかという仮説など、興味深い話が出てくる。扱われた調査の対象外だったため論じられていない、シングルの食生活を、本書同様に広い視点から描くと、何が見えるのかも気になってくる。
(福島淳)

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