みなさんはじめまして、畠山勝太と申します。普段は、マラウイ共和国の国連児童基金(ユニセフ)に勤務して、途上国の教育やジェンダーなどの仕事をしています。ユニセフの前は世界銀行で働いていました。この連載では、教育問題、特に女性に関係する問題を様々なデータを用いて紐解いていきたいと思います。
おそらく多くの方が「教育は重要である」という意見に賛成されるかと思います。しかし「教育は重要である」といってもその理由は様々ではないでしょうか? ユニセフも世界銀行も途上国の教育支援をしています。しかし、ふたつの機関は「教育」を重視する理由がそれぞれ「人権アプローチ」と「経済アプローチ」と異なります。この連載では教育を考える際に、統計や経済学を使う予定ですが、今回は基本となる「なぜ教育は重要なのか」についてふたつの機関を事例に説明していきたいと思います。
子どもには教育を受ける権利がある
ユニセフはなぜ途上国の教育支援に従事するのでしょうか?
ユニセフは「子どもの権利条約」の実現を目的としている組織です。そして子どもの権利条約には、第28条と第29条で「子どもが教育を受ける権利」が明記されています。詳しくは条文を直接確認いただくとして、要約すると「子どもが小・中・高校に行けない、能力ではなく貧困などを理由に大学に行けない、文字の読み書きができないという状況は、子どもが持つ権利を行使できていない」ということを意味します。そして、日本も子どもの権利条約を批准している国なので、この内容は日本でも実現されなければならないものです。
ユニセフには「Duty Bearer(人権に対して義務を負う者)」として、「Rights Holder(権利を持つ者)」である子どもが権利を行使できる環境(Enabling Environment)を実現させる責務があります。現在小学校に通えていない子供は世界で6000万人もいますが、その子どもたち全てが教育を受けられるように、Duty Bearersである政府・社会・親などと連携して教育支援をしているというわけです。ユニセフのような教育の考え方を「人権アプローチ」と言います。
教育を受けることにはメリットがある
他方で「経済アプローチ」を行っているのが世界銀行です。世界銀行は貧困削減と経済発展を主な目的としている組織です。主目的を見ると想像がつくかと思いますが、世界銀行は教育が発展すると貧困削減や経済発展を促すと考えているので、途上国の教育支援に従事しているわけです。
「経済アプローチ」は、ジェイコブ・ミンサー、ゲーリー・ベッカー、セオドア・シュルツといった経済学者によって編み出され、洗練された「人的資本論」という考えが基礎となっています。
「人的資本論」とは端的に言えば、一時期「コンクリート(ハード)から人(ソフト)へ」という言葉が日本でも流行になりましたが、そのソフトに当たる部分への投資に着目した考え方です。さらに、その投資のリターンは個人に帰着する部分(私的収益)と政府や社会全体へ帰着する部分(社会的収益)があり、社会的収益が存在することを外部性がある、と言います。普通個人は自分への投資を考えるときに、自分の利益のみ考えて、政府や社会にどの程度貢献するのかは考えません。そのため外部性を考慮した投資は行われないので、社会的に望ましい水準よりも過小投資になりがちです。そこで投資が足りない分は、政府が何らかの形で補うことが望ましいと考えられています。
上記の話だけでは分かりづらいと思うので、以下では「保健・医療制度」「職業訓練・生涯学習」「基礎教育」という三つの具体例を用いて説明したいと思います。
「保健・医療制度」:ジムに通ったり身体によいものを食べるなど、健康のためにお金を使うことで、健康問題によって生産性が低下することなく働けるので、より多く稼ぐことができるようになります(私的収益)。政府としても、人びとがたくさん稼ぐことによってより多くの税収を得られるようになりますし、医療費を節約することもできます(社会的収益)。しかし「政府の財政負担を軽減したい」と考えて健康を志向する人はめったにいません(外部性)。そのため社会全体にとって個々人が「健康であること」が過小評価されてしまい、健康に費やされる金額は社会的に望ましい額よりも少なくなってしまいます。それゆえ政府は政策として保健・医療制度に補助するべきだと考えられます。
「職業訓練・生涯学習」:職業訓練や職務経験によってスキルを身に付けると、生産性が向上し、より高い賃金を得ることができるようになります。また、人は知識を身に付けることでも、生産性を向上させたり、イノベーションを起こしたりして、より多くの収入を得られるようになります(私的収益)。イノベーションは社会全体に対して利益がありますし(インターネットが生まれたことで便利な世の中になりました)、政府は税収を増やすことができます(社会的収益)。しかし、個人が職業訓練を受けるかどうか判断するときに、自分の収入がどれだけ上昇するかのみが考慮され、社会全体にどれだけ恩恵があるかといったことや、政府財政への貢献までは考慮されないのが一般的です(外部性)。その分、社会的に望ましい水準よりも過少な職業訓練しか行われないため、政府の補助が必要になってきます。
「基礎教育」: 人は教育機会を通じて識字・計算などを身に付けたり、協調性や忍耐力といった非認知能力が養われたり、新たな事を学ぶ学習可能性が磨かれたりして、生産性を向上することができますが……ここから先の議論は職業訓練・生涯学習の所とほとんど同じなので、字数の関係で省略したいと思います。
以上のような考え方を基にしたのが、教育への経済アプローチです。教育分野は就学前教育から大学教育まで様々な段階から構成され、投資対象となるものも教員研修から学校建築まで様々な物によって構成されます。教育への経済アプローチを取ると、教育投資のコストとリターンから収益率を導くことができるので、経済発展や貧困削減のためにどのような分野のどのような物へ政府は支出すべきなのか、その優先順位と戦略を考えることができるようになります。
大学進学はどれだけお得?
「教育への経済アプローチ」に基づく「収益率分析」の理解をさらに深めるために、日本の大学教育を例に話を進めていきましょう。経済アプローチを理解するためには、「教育を受けるためのコスト」と「教育を受けたことのリターン」を考える必要があります。
まず「教育を受けるためのコスト」を簡単に計算しましょう。
教育を受けるためのコストは「直接コスト」と「間接コスト」の2種類に分けることができます。直接コストは、主に学費のことで(生活費は大学に行かなくても発生するものなので、教育を受けるコストにはカウントされません)、間接コストは「放棄所得」とも呼ばれるもので、教育を受けずに働けば得られたであろう所得(大学に行かずに働いていれば得られたであろう所得、具体的には高卒労働者の最初の4年間分の所得)を指します。
日本では、私立大学の初年度納付金は約140万円でそのうち授業料は約90万円、国立大学はそれぞれ約80万円と約50万円、公立大学はそれぞれ約90万円と約50万円となっています(「私立大学等の平成26年度入学者に係る学生納付金等調査結果」)。大学種別の学生数を考慮して加重平均すると、日本の大学生は平均して初年度納付金を約130万円、授業料を約80万円支払っていることになります。これが大学教育を受ける直接コストの大きさになります。
続いて間接コストですが、厚生労働省の調査によると、高卒の男性労働者は平均して最初の4年間で約1000万円の所得を得ます(「平成27年度賃金構造基本統計調査」)。つまり、大学に行かずに働いていればこの額を稼ぐことが出来た訳なので、この約1000万円が大学教育を受ける間接コストの大きさになります。
よって、非常に大雑把な計算ですが、大学教育を受けるコストは(130万円+240万円)+1000万円=1370万円ということになります。
次に「大学教育のリターン」です。これも賃金構造基本統計調査によると、男性が高校卒業後22歳から59歳まで働いた時の総収入は約2億1200万円で、男性が大学卒業後22歳から59歳まで働いた場合の総収入は約2億6400万円となっており、差額が5200万円となっています。この5200万円が大学教育を受けたリターンと考えることができます。
すなわち、男性が大学に行くことは約1370万円のコストを支払って、約5200万円のリターンを得る投資だと考えられます。これを「内部収益率」という考え方を使って計算すると(複雑な計算のため説明を省略します)、大学進学は卒業後、約40年間にわたって約5.4%の収益率がある投資だと言えます。もちろん、大学の専攻や質によってコストもリターンも大きく変動するのでかならず儲かる投資になるとは断言できませんが、現在の利子率の低さを考えれば、大学教育は比較的優れた投資先だと言えるのではないでしょうか。
なぜ教育は重要なのか
さて、ここまでの説明では、コストを払うのもリターンを受けるのも教育を受けた本人のみとなっています(私的収益)。しかし「人的資本論」でみたように、教育のコスト・リターンは、社会や政府が受ける部分もあります(社会的収益)。それでは大学教育の社会的収益率はどの程度なのでしょうか。
ユネスコ統計研究所のデータを基に試算すると、日本政府は大学生1人あたりに毎年約95万円税金を費やしており、大学卒業者を一人生み出すために約380万円の支出をしていることになります。この約380万円が直接コストとなります。間接コストは具体的に算出することが難しいのですが、4年間の放棄所得1000万円から得られる税収がそれにあたります。
大学教育のリターンは、大学教育を受けることで個人が得られる5200万円からどれだけの税収が手に入るかによって決まります。さらに、一般的に大卒者は高卒者よりも医療費がかからない、罪を犯さない(刑務所のコストを削減できる)など、政府支出削減につながる行動が見られるので、これも大学教育の社会的リターンとみなすことがでるでしょう。上記の議論からも分かるように教育の社会的収益率は税制・税率に大きく影響されるので、その大きさを議論するのは難しいのですが、一般的に教育段階が上がるほど教育の社会的収益率は小さくなるが、大学教育でもマイナスまでは行かない、と考えられています。
ただし、この5200万円が教育による生産性の向上によってもたらされたものではなく、元々優秀だった人がただ優秀であるというシグナルを付けるために大学に行っただけにすぎない場合(シグナリング理論・スクリーニング仮説)、教育投資によって国民の生産性は向上していないので、政府が得られるリターンはそうでない場合と比べてはるかに小さなものとなります。
冒頭の質問に戻りましょう。なぜ教育は重要なのか? それはすでにお分かりのように、教育を受けられることは人権であり、教育機会が貧困などによって奪われているというのは人権侵害に当たるからです。また、教育によって個々人の生産性が向上し、所得向上・貧困削減・経済成長が実現できるからです。
今回は教育への人権アプローチと経済アプローチについて説明しました。この二つはどちらが優れているかというものではなく、教育を考える上でその両輪となるべきものです。今回はあえて男性のデータを用いて教育へのアプローチ方法を説明したので、来月は女子教育の重要性について書きたいと思います。
今回のまとめ
・教育へは人権アプローチと経済アプローチの2種類が存在し、教育を考える上で両方を考えるのが重要である。
・教育への経済アプローチは人的資本論に基づいており、教育投資の収益は私的収益と社会的収益に分けることができる。社会的収益が存在する、すなわち外部性が存在するとき、政府による人的資本投資への支援が必要となる。
・教育の収益率分析をすることで、どの教育段階のどういった物を推進していくべきか、優先順位と戦略を作成できる。
・教育のコストは授業料など意識されやすい直接コストに加えて、見落とされがちではあるが放棄所得である間接コストを考慮する必要もある。
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