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中森明菜の親子関係に見る、「老親との縁切り」は薄情なのか?

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 「自身」ではこれまでたびたび明男さんのインタビューを掲載しているが、2013年10月の同誌では明菜と家族が絶縁状態になった原因を語っている。明男さんは「明菜が私たち家族に“自分のお金を勝手に使われてしまった”と、固く信じ込んでいるからなんですよ。明菜は、当時の事務所のスタッフから『清瀬(の家族)にいっぱいお金が行っていて、大変なんだよ』と言われたそうです」と当時述べており、つまり明菜は、明男さん含む家族が自分の金を勝手に商売のために使い込んだと誤解しているのだ、というのである。では、真実はどうだったのか? あくまでも金の使い込みは誤解である、と言い張るだけで、この弁解では、明菜の“誤解”は解けないだろう。しかも本当に誤解なのかは分からないままである。

 今回の「自身」の記事で明男さんは、初出し情報として明菜が21年以上前、実母がガンで亡くなる前に分籍していた、ということを語っている。明男さんは長年『明菜に裏切られた、家を捨てられた』と感じていたのだろう。しかし明菜にしてみれば、家族関係が良好であればこのような行動に出る必要もなかったのではないか。裏切られたと悲しむ前に、自分は親として家族としてどうだったのか、振り返ってみることは出来ないのだろうか。

 肝心の明菜は家族に対してどういう思いを抱いていたのか。1994年に刊行された『中森明菜心の履歴書―不器用だから、いつもひとりぼっち』(ポポロ編集部)は、それまでの明菜のインタビューを元に、生い立ちから当時までがまとめられた書籍である。

「貧乏だったのよ、すごく。でもお母ちゃん、外にはすごく見栄があったの、だからみんなで出かける時は、必ずおそろいを着せて、おしゃれに見せてね。でも、うちじゃ、お下がり着てたし、ごはんだって食費切りつめて、キャベツ料理ばっかりとかだった」

「ここに自分がいるっていうことが、なんかおこがましくてしょうがないの。あのぅ……私なんか生きてていいんですかぁって、そんなふうに思えて……」(自分の部屋を与えられたときの感想)

「家族でどこかに出かけようって時に、私ひとりのためにダメになっちゃって、みんなにイヤな思いをさせる。私なんかいなけりゃいい、生まれてこなきゃよかったって、何度思ったことか……」(体が弱かった幼少期、家族でのお出かけが流れたときに)

「お母ちゃん、しょっちゅう言ってた。『明菜さえいなかったら』って。お酒飲むたびに、言いだして泣くの」

「愛情をあまり受けずに育ちましたから。だからそのぶんね、よく孤児院なんかで育ったコが、絶対自分は温かい家庭をつくるんだって言ったりする、それと同じでね、ひとには絶対、イヤな悲しい思いをさせたくないの。それなのに、なかなか感情のコントロールができなくて……こんな自分に疲れちゃうんですよ」

 実父の言い分、明菜の言い分、それぞれに主観が入っているのは考慮する必要があるが、明菜は幼少期、自身の存在を否定されて育ち、自分でも自分を否定してきたようだ。それはこの書籍刊行当時まで続いているように見受けられる。

 明男さんの一連の言い分を丸めると「妻にも先立たれ、孤独な82歳の高齢な父親(俺)を見捨てるなんてひどいよね?」ということだろうが、世にある毒親対策本では、親との縁切りをすすめているものがある。明菜はそうした本を読んだのかは分からないが、自身を守るために親との距離を置くことは有効な対策だ。成長した子供が、育ててもらった恩を忘れて親を捨てる、しかも年老いた親を孤独にするなどありえないことだと世間が思っても、自分を守るために逃げることは「あり」なのだ。

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