社会

ピンク解放運動を追う 「女らしさ」に閉じ込められたピンクの歴史

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まず最初に、欧米、そして日本で、ピンクはいつからどんな風に女の子の色になったのか、ピンクという色が持ってきた(持たされてきた)社会的な意味の移り変わりの歴史がたどられる。「ピンクは女性性を象徴する色」、そんな風になったのは欧米でもそう昔のことではない。1950年代のアメリカでは、性別との結びつきがなかったピンクが、男性から愛され幸せになる客体的な女性らしさの象徴となっていった。それが一転、1960年代後半から70年代前半のウーマンリブの盛り上がりの中、性別による区別や差別に対する批判的な意識、女らしさの押し付けに対する反発から、女性や女の子にあてがわれる色としてのピンクに対す拒否感が現れてくる。本書ではこのようなピンクを巡るダイナミックな歴史が描かれている。欧米の影響を受けながら日本でピンクが女子カラーとして定着するまでの、すんなりとはいかないその歴史も印象深い。

さて、ピンクと女子の歴史を踏まえた上で著者が向き合うのが、「玩具店の女児コーナーに足を踏み入れれば、ピンク、そして水色、ラベンダーというパステル・カラーの大洪水」という今日の状況だ。ピンク色が女性性と結びつくようになり、市場はピンクのモノで溢れるようになった。特に、女児向けおもちゃの世界はその程度が甚だしい。これは、ある年齢(3〜7歳)の女の子のピンクに対する執着がすさまじく(これが著者の娘さんにも起こったことだ)、それに応えるようにメーカーがピンク色の商品を供給しているとも捉えられる。この、女の子がピンクにとびつく時期があることには、生物学的な、発達の過程における理由があるのではという仮説も紹介されており大変興味深いのだが、もしそれが生まれつきのものだとしても、女の子用のピンクのおもちゃが溢れている問題がある。それは、それらピンクのモノたちが、女の子(や女性)に限定的な選択肢しか与えない、狭い考えで作られてきたことだ。

ステレオタイプな狭い女性像や、そういう像に基づくピンク色のモノが女の子にどんな(悪)影響を与えるのか、著者は子育てや子どもの発達に関する科学的な知見も参照しながら語る。そして、ここへとカウンター的に登場してくるのが、この本のメイントピックである欧米の理系女子玩具ブームだ。このブームをレポートする著者の語りからはワクワクを感じる。それもそのはず、そこではこんなにもはっきりしたメッセージが発せられているのだ。

今こそ変わるとき
女の子も広い選択肢を知る価値がある
女の子用のおもちゃはみんな同じに見えるけど
女の子だって頭を使いたい
私たちはプリンセスのメイドなんかじゃない

これは、理系女子玩具ブームのきっかけとなった女児向けのエンジニアリングを学べる玩具「ゴールディー・ブロックス」の広告動画で歌われている曲の一節である。

こんなものに触れてしまえば、海の向こうで何が起こってるんだ!? と、毎夜のネットサーフィンでその動きを探りたくなるのはよく分かる。英語の海を通してだんだんムーブメントの輪郭が見えてくるワクワク。輪郭がつかめれば今度は、新しい動きはないか? とフォローする日々になるだろう。

このワクワク感が感受されたあたりから、著者自身やこの本の成り立ちへの興味も膨らんできた。「派遣社員の二児の母」としての生活の中の限られた時間ながら、自分の興味のままに、新しいことを知っていく楽しさや喜びを持ちながら追いかけた事。その分厚いレポートと、現在進行形の子育ての中で考えることになる――自分の子どもたちがどんな風に育ってほしいのか? 子どもたちが置かれた社会状況はどういうものなのか? というような――問いとが、絡みあっている。

本書では、理系女子玩具ブームの話題の後に、日本の女性が、限られた「女らしい」職種ばかりを目指してしまう問題や、色自体に罪があるわけではないピンクを女性たちが取り戻す動き(あてがわれた「ダサピンク」ではなく主体的に選び取られた「イケピンク」)なども取り上げられている。このように、女の子・女性を狭い枠に閉じ込める社会のあり方と、それに風穴を開けるような動きを語る本自体が、著者自身の、母親としての世界や仕事の世界だけに収らない、おもしろいものを探し求め、様々に考えを巡らせる活動から生み出されていると感じられるのだ。このことが、語られている内容と同じくらい刺激的で、読者を力づける。
(福島淳)

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