ネガティブキャンペーンに使われた女性たち
前近代仏教の女性観ってずっとこんな感じだったの? と呆れる方もいるかもしれないが、そんなことはない。
例えば鎌倉新仏教では、女性も成仏ができると主張をした流派が複数あった。そのうちの一つが一遍による「時宗」である。時宗が画期的だったのは、踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」や念仏の書かれた「念仏札」を民衆に配るなど、非常に手軽なものを用いて往生を目指すことができるとした点であった。
しかし、一遍などが打ち出した「女人も救済される」といった新たな思想は当時の旧仏教勢力からかなりひんしゅくを買ったようで、「天狗草紙」という時宗などいくつかの流派を貶める内容の絵巻が作られているほどだ。ちなみに鎌倉時代、激しく弾圧された日蓮宗の日蓮も、女人成仏論を唱えている。
「天狗草紙」には、ご利益を求めているのか、何に使うのかはわからないのに一遍の尿を採集する尼僧や人目をはばからず排泄する尼僧など、常軌を逸した女性の行動がたびたび登場する。これらの表現は、時衆徒のネガティブキャンペーンのために描かれたものだ。
また、レズビアン女性が描かれているという説もある。中世の女性同性愛に関しては全く史料がないのだが、天狗草紙内には二人の尼僧が肩を組んで歩いている様子が表されており、これが時宗の性的放縦を非難つもりで描かれたレズビアンカップルではないかと言われているのだ。肩を組むというしぐさは中世絵画史料上ほとんど見られないため、恋愛及び性的な関係だと判断する材料がないのだが、これが非常に特殊な関係を示すものであることは確かだろう。当時の社会で、ある集団を蔑む時に「タブー」を犯す女性が示されるのは、仏教と女性の関わりにおいて大変興味深いことである。
現代に残された「地獄」?
以上、中世を中心に、女性の地獄にまつわる雑多な話を紹介してきた。
前近代を現代の倫理で計ることに、私は意味を感じない。中世には中世の価値観があり、何かを考察する時に大事なのは中世社会の中でそれがどのように認識されていたかという問題である。
中世という強固な男性社会を基盤にして生きていた女性たちの生き方は、現代を生きる我々からすると信じられないものなのかもしれない。時代によって人間の区別のつけ方は異なり、今も価値観は現在進行形で変わっていくのだ。
当時、「もれなく地獄に落ちる」とされた女性たちにとって、現世はどのように感じられたのだろうか。そして、現代の女性たちにとって、この社会は極楽か、それとも地獄なのだろうか。現代とは異なる合理性と暴力性を持つ中世社会を覗いてみると、現代に残された「地獄」が垣間見れるかもしれない。
【参考文献】
黒田日出男『姿としぐさの中世史』平凡社、1986年
松下みどり『<女性の穢れ>の成立と仏教』2006年
穂坂悠子『日蓮上人の女性観 女人成仏論を中心に』2008年
田村正彦『描かれる地獄 語られる地獄』三弥井社、2015年
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