吉野朔実が残した他者との戦い方 ひとつになれなかった双子の妹が「いち抜け」する『ジュリエットの卵』

【この記事のキーワード】

 これに対し、女性の移動は1980年代の半ば以降一貫して上昇傾向にあり、本作連載時の1980年代後半はこれまでになかった新しいタイプの人口移動が女性において生じていた時期だという状況を読み取ることができます。本作が連載開始された1988年は女性の進学率の上昇や1980年代の「女性の社会進出」などを背景に、進学をきっかけとした引っ越しを女性が経験し始めた時代だったといえそうです。このような当時の状況をふまえれば、進学を契機とした女性の転出には「親への反目」や「子供の教育に対する期待」、「自立心」などたくさんの物語をつむぐ要素があるように感じられます。しかし螢の転出の背景はそのいずれでもなく、母親からの疎外にありました。

 親または本人の主体的選択がないままに家族と離れて暮らし、家族との心理的な分離がうまくいかないという特殊な状況を、80年代後半という時代において無理なく演出するうえで、「疎外」は絶好の装置であるように思えます。そのうえで、「疎外」をいかに変革するか――親兄弟から自立して主体性をいかに獲得するか――という成長の物語に接近するという構造を、本作はあらかじめ有しているのです。

 この「人間関係を組み替える主体性やきっかけが失われているため、それまでの関係が維持され続けてしまい、自立しにくくなる」という状況は、現代社会を考えるうえでも踏まえておきたい事象です。少なくとも90年代までは、生まれ育った家からの転出は否応なくこれまでと違う人間関係への直面をもたらしていました。しかし近年は、空間的断絶=コミュニケーションの断絶とは必ずしもいえなくなってきています。その背景にあるのがSNSや携帯電話、スマートフォンに代表されるITによるコミュニケーションの発達です。例えばLINEやFacebookの利用を考えてみればわかりやすいでしょう。地元を離れても同級生とつながり続けている、一人暮らしをしているのに何かと親に相談してしまう、という状況が近年では生じるようになっています。

 社会学者の鈴木謙介は、コミュニケーションを含む情報空間と現実の空間が必ずしもイコールでなくなった状況を「現実の多孔化」と呼んでいます。1980年代を舞台としている本作は、SNSどころか携帯電話もない時代ですから、登場人物たちは固定電話と手紙でやりとりをしています。しかし、千葉の大学にいるにもかかわらず金沢の兄を思い続ける螢と、螢以外の女性に対して興味を持たない水が見せる双子ならではのシンクロニシティは、その場にいない相手とつながり続けているという点で「多孔化」した現実を生きているようにもみえます。そして、そうした関係は他者を排除するだけでなく、自分自身のアイデンティティの獲得を阻害するという点が本作の先見性であるように感じられます。

「おそ松さん」から抜け出す可能性

 物語の複雑さゆえに様々な読み方ができる『ジュリエットの卵』ですが、今回は「他者とはなにか」という点について考えてみたいと思います。螢によって物語冒頭でおこなわれる衝撃の告白の聞き手は、千夏と夜貴子というふたりのクラスメイトです。彼女たちは螢らの人生を左右する重要な人物になっていくのですが、いずれも螢とはまったく違うキャラクターとして造形されている点で興味深いです(千夏はボーイッシュで健全、夜貴子は社交的な美人)。

 自分とは違うがゆえに自分を写すための鏡となりえる存在のことを社会学では「他者」と呼んでいます。アメリカの社会学者チャールズ・H・クーリーは自分自身のありかたは他者という鏡によって規定されていて、自我とは対人関係を通して形成されるものであると論じています。あらかじめ自我があって、それを踏まえて他者と関わるという図式を私たちは描きがちです。しかしそうではなく、自我の形成とは、他者との関わりの中で他者という鏡に映った自分を認識することに他ならないとクーリーはいいます。

1 2 3 4

「吉野朔実が残した他者との戦い方 ひとつになれなかった双子の妹が「いち抜け」する『ジュリエットの卵』」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。