
栗原康『村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝』岩波書店
女は、結婚しろ。子供を産め。良き母として育児に励め。家事も怠るな。夫をサポートする良き妻でもあれ。そして、働け。育児と仕事の両立を許さない環境におかれていたとしても、保育園の待機児童問題が一向に改善されなかろうとも、産めよ、増やせよ、働けよ。男を立てることも忘れるな。支配的な男性にとっての「都合の良い女像」を目指し、各位はりきって、無私の空疎な役割に没入しろ。
このような人間個人の意志と都合を無視した【女の型】にはめられた挙げ句、1日24時間では到底太刀打ちできない量のタスクを前に疲労困憊の女性のみなさま。男性であっても、社会規範や職場、家庭の環境において、求められる役割をこなすだけの毎日にうんざりしている方々に、お届けしたい言葉がある。
『人間の本性を殺すようなもしくは無視するような道徳はどしどし壊してもいいと思います』 伊藤野枝
上記は、今年3月に刊行された栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)より引用させていただいた一文である。
伊藤野枝といえば、20歳にして平塚らいてうが発刊した雑誌『青鞜』の二代目編集長に就任した文筆家であり、大正生まれのアナキスト、ウーマンリブの元祖として知られる女傑である。野枝は御家同士の契約結婚制度を「不純」とし、全否定。好きな男と入籍をせずに暮らす生活を貫き、2人の男の間に7人の子供を授かった。
『青鞜』では、世間一般に浸透している公序良俗の道徳観に中指を立て、「無規則、無方針、無主張無主義」の編集方針を打ち立てた。『いっちゃいけないことなんて存在しない。だから公序良俗なんて無視してしまって、おもうぞんぶんかいてくれ。もっと本気で、もっと死ぬ気で、ハチャメチャなことをかいて、かいてかきまくれ』(本文引用)。雑誌全体を貫くテーマ性よりも、書き手個人の言論の自由を、野枝は重んじた。
あらゆる「習俗の打破」に心血を注ぐ彼女に対し、「習俗」を人間全員の正解として妄信する世間の風当たりは強かった。それでも、野枝は書く。子供をがんがん産む。金がなければ、無心する。やりたいことは全部やる。怒濤のごとく生きた彼女は、パートナーであった希代のアナキスト、大杉栄とその甥とともに、憲兵隊に虐殺される。享年28歳。短くも濃厚な人生であった。
本書は、そんな野枝の生き様を、アナキズム研究者の栗原康氏が愛情たっぷりの語り口で紹介した自伝である。栗原氏は、野枝による痛快大暴れエピソードには「やばい、しびれる、最高だ」、屈辱を受けたエピソードには「かわいそうに」「くやしい」「ふざけるな」と、時にご自身の感想を、時に野枝の気持ちをトレースした言葉を、合の手として挿入されている。その一言一言が、実に軽妙かつチャーミングで、野枝の魅力を瑞々しく際立たせている。つまり、本書は野枝の自伝であると同時に、栗原氏による彼女の人生、心情の翻訳書である。その面白さを堪能していただくためには「ぜひ、本書を読んでください」としか言い様がないのだが、本稿では、本書に登場する野枝自身のエピソードに焦点を当て、ご紹介してみたい。
伊藤家家訓『貧乏に徹し、わがままに生きろ』
1895年、福岡県糸島郡に生まれた野枝は、気が向いた時にしか働かない父と、働き者の母と、野枝を含めた7人の兄弟妹とともに、貧乏暮らしを余儀なくされる。こう聞くと、少ない食材を分かち合う、慎ましやかな大家族像を想像するが、野枝は違う。家族全員分の冷や飯を発見するなり、一人で全部食べてしまう。
14歳、東京の上野高等女学校に通ういとこの話を聞いて、自分も同校に行きたいと願う。もちろん家にそんな金はない。どうするか。もらえばいい。というわけで、いとこの親、つまり叔父に「私を上野高女にやってください」と熱烈無心。見事、念願を叶える。
同校卒業後、地元の豪農の家に無理矢理嫁がされるが、「いやだから」という極めてシンプルな理由で、速攻家出。再び上京し、大好きだった高校の恩師、辻潤と同棲生活を開始する。メンツを潰された親類は、大混乱。嫁ぎ先も当然、大激怒。「姦通罪で訴えるぞ!」と息まく。この騒動で同校の辞職に追い込まれた辻は、仕事がない、金がない。野枝は実家に戻っても針のむしろだ。
家族に迷惑をかけたことに対し、申し訳なく思う気持ちはあっても、そもそも「私は悪くない」。悪いのは、御家の繁栄および金のために、女を奴隷のごとく売り買いする旧態依然とした家族制度だ。結婚は親と家のためにするものであって、当人の意志など無関係とされた時代。好きな人と結婚したいと言おうものなら「わがまま」と諭される。その理不尽なしきたりが「道徳」と呼ばれるものならば、壊してしまえ。わがまま上等! いや、どちらかというと自分の道徳観を他人(野枝)に押しつける人間の方がわがままなのである。