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クソ無責任ヒーローだけどチャーミング、『デッドプール』の絶妙なバランス

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(C)2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.

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ここ一年くらいでしょうか、「正しさ」に対するアレルギーのようなものを持っている人の存在を、ツイッターや実際に交流のある人たちから感じます。自分も、きれいな感情だけを描いたものにだけ賛辞を送るのは何か違うとも思うし、正しいことを言っているつもりが実は間違ってた……というときシャレにならないかもしれないとも思うし、「過激な表現に目を背けるようなヘタレじゃないし!」という意識はどこかにあります。

正しさへのアレルギー傾向が強くなったのは、ハリウッド映画、特にディズニー映画にPCが描かれるようになったことは無関係ではないでしょう。しかし制作側も、受け取る側の「正しさアレルギー」をくみ取っていて、1年~2年前と今とでは、語るべき正しさが違ってきています。

例えば『ズートピア』で、差別されていたうさぎの主人公のジュディが、差別する側にもなり得るということを描いていた点は象徴的です。善と悪がはっきりしすぎていると、一方に偏っているように見えて反発を呼びやすく、両面が描かれていれば、見ているこちらもいろいろな解釈を考えることができます(そこにあまりにも隙がないとまた反発が起こりますが)。

最先端の制作の現場は、こうして「正しさ」の描き方を更新しているのですが、正しさを押し付けられているような窮屈さがまだ気になるという観客もいるでしょう。その反動として、「正しさなんてクソくらえだ、人には悪の部分はあるのだ」という気分が大きくなりつつあるようにも見えます。昨今、暴力が描かれた日本映画がたくさん作られたのも、間接的には関係があるのではないかと思います(この連載では、『ディストラクション・ベイビーズ』などを取り上げてきましたし、ほかにも『ヒメアノ~ル』や『シマウマ』などがあります)。

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