クソ無責任ヒーローだけどチャーミング、『デッドプール』の絶妙なバランス

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「キャプテン」を名乗らなかったデッドプール

映画の宣伝で言われていたように、『デッドプール』が「クソ」だとしたらどういうところでしょう。みんなのためのヒーローではなく、私怨のために復讐するヒーローだというところもあるでしょう。また、下ネタや毒舌を言うところや、シリアスな状況でも、ぜんぜん関係ないことをつぶやいたりするふざけた精神もあるでしょう。X-MENという組織には入らないところもアウトロー、アンチヒーローということでしょう。

でも考えてみると『デッドプール』は、組織であるX-MENとはつかず離れずの関係性を保っていて、協力できるときは共に行動もします。それを見ていると、X-MENたちの真面目で人のための正義を目指すという思想を否定しているのではないことがわかります。

組織には危険もあります。以前、『アイアムアヒーロー』では、権力を手に入れ、支配者であることに酔うと目がおかしくなると書きました。『デッドプール』では、ウェイドが覚醒してミュータントになった後、自分の名前を考えるときに「キャプテン・デッドプール」と名乗りそうになりますが、すぐに「キャプテンはやめておこう」と言います。ここに大きな意味があると思いました。

「キャプテン」を名乗るということは、誰かと行動を共にし、その上に立っていることを意味します。けれど、ウェイドは、自分は誰かを束ねる立場ではなく、自分の目的のために生きてる人だから「キャプテン」を使うのはやめようと思ったのでしょう。

もちろん映画『キャプテン・アメリカ』とも無関係ではありません(原作にはこの映画には書かれていない因縁もあるようですが)。『キャプテン・アメリカ』のスティーブ・ロジャースは、自らを「キャプテン・アメリカ」と名乗ること、つまり他者の期待を背負うことで、(彼の中で)男になることができましたが、『デッドプール』のウェイドの場合は違います。他者を背負うことには、支配者になり、力をより間違った方向に使ってしまうという危険性もあります。それをうまく扱いきれないかもしれない自分には、キャプテンを名乗る資格はないと考えたのではないかと、私は深読みしてしまいました。

もちろん、『キャプテン・アメリカ』は、ぶれずに正義を貫ける人物だから「キャプテン」と名乗れる。でも、よりリアルで普通の感覚を持ったウェイドは、自分は正義をちゃんと取り扱える人間ではないのではないか、と自分を疑う冷静さを持っているのではないかと思うのです。この冷静さは、悪いことではありません。『アイアムアヒーロー』の伊浦のように、凡人なのに力を手に入れた途端、力の使い方を間違ってしまう人もいるからです。

ウェイドは、自分は普通の人だと自認しているからこそ、勘違い男にならないために、組織と距離を置き、人の上に立つことを拒否しているのかもしれないし、それは、彼なりの正しさのようにも思えるのです。また彼が自分を冷静に見るということには、『第四の壁』を突破して、観客に語り掛けることで自分にも突っ込みを入れられていることとも関係があるように思うのです。

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