皮膚を傷つけ生きていく――自傷は「狂言」で、取るに足らないことなのか

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松本俊彦さん

松本俊彦さん

自傷をする人は、自分を見てほしいだけ。メンヘラで、かまってちゃんで、どうせ死なない。だから、自傷は取るに足らないことだし、下手に注目すると調子にのってしまう……。自傷行為に向けられる私たちの目は、冷たくよそよそしいものです。

しかし「人の助けを借りずに孤独に対処しようとするのが自傷の本質」と、精神科医の松本俊彦先生は指摘します。インタビュー前編では、なぜ自分を傷つけることを選ぶのか、そして自傷にどのように対処していくのかについて、お話を伺いました。

※本記事には自傷に関する記述があります。

自傷とはなにか

――「自傷」と聞くと、「リストカット」を連想しますが、「唇の皮を剥くのも自傷」なんてことも聞いたことがあります。なにをもって「自傷」とされるのでしょうか?

松本:定義は研究者によってずいぶん違います。軽いものとしては、髪の毛を抜く、爪を噛む、治りかけのかさぶたを剥くなどですね。「それぐらいだったら、私も自傷行為しているよ」と思う人は多いかもしれません。一方で、高いところから飛び降りる、危険な薬品を沢山飲む。そういったものも自傷行為に入れる人もいます。

私自身の定義としては、「自殺以外の意図」をもって自らの身体を傷つけることを自傷行為としています。「このくらいなら死なない」という予測をつけて自分の身体をわざと傷つけるのです。リストカットだけではなく、身体を噛む、尖ったもので突き刺す、身体を壁に強くぶつけるなど、自分を傷つける方法は様々です。

――なぜ、「自殺以外の意図」をもって自分の身体を傷つけるのでしょうか。

松本:理由は人それぞれですが、一番多いのは気持ちを変えるためです。つらい気持ちや、落ち着かない気持ちを静める。自分に喝を入れるために自傷すると言います。

他者とのコミュニケーションを意図した自傷もあります。相手に腹が立っても、ぶん殴ったらやり返される可能性がある。だから自分を傷つけるんです。そのことで相手に罪悪感を与え、相手を自分の希望通りに動かそうとしているんですね。相手を操作するため、人によっては、アピールするためと受け取るかもしれません。ただ、このタイプの自傷は一般に考えられているよりははるかに少ないことに注意する必要があります。

また、どう分類していいのか悩ましいパターンもあります。たとえば、根性焼きのような、不良集団で仲間意識を高めるための行動は自傷と言えるのかどうか。

あるいはタトゥーやピアスのように、ファッションとして定着したものもあります。これらは、今では珍しくないものなので、自傷とは言いきれないかもしれません。ただ、タトゥーやピアスをしている人の方が自傷経験の多いことはわかっていますし、自傷をしている人の中でも、タトゥーやピアスのある人は、様々な心の問題を持っている人が多いと言われています。皮膚を切るような自傷がなくても、嫌なことがあったときにタトゥーやピアスに走る人もいます。そういう人たちはひょっとすると、ファッションのためではなく、痛みを必要としているのかもしれません。その場合、彼らの行為を「自傷」と言うべきだと私は思います。

――自傷か自傷でないかはかなりあいまいなのですね。

松本:そうです。サブカルチャー的な文脈とも密接な関係があるので、「自傷=病的な現象」と言うことには慎重であるべきだと思います。10代の人の1割は少なくとも切るタイプの自傷行為の経験があります。1割の子をすべて「病気」としてしまうのは、社会としておかしいですよね。

ですから、自傷行為は「病気」ではなく、「現象」なんです。自傷行為を見ていると、その奥に生きづらさがありますし、中には精神疾患を合併している人もいます。

自傷をする子たちの中で、精神科につながっている患者さんを対象とした調査をしたことがあります。その方たちの3分の2には精神的・身体的な虐待や深刻ないじめ被害があります。自分が殴られたわけではないけれど、家庭に暴力があり、「自分が悪い子のせいだ」という罪悪感にとらわれて子ども時代を過ごした子を含めると、9割がトラウマ体験を持っています。こんなにトラウマに関係するメンタルヘルスの問題はPTSD以外にはありません。

今まで自傷を「病んでいる」とか「アピールしている」と決めつけて終わっていた人は、その奥になにか問題を抱えているかもしれないと目を向けてほしいです。

自傷は孤独な作業

――たとえば、「かまってほしいから自傷するんでしょ?」と聞かれたら先生はどう答えますか。

松本:自傷は狂言自殺のようなものだと考えている人は多いでしょうね。たしかに、我々が気付くことのできる自傷は、人に見られることを意識してやっているものが多いと言えます。だからこそ他人が気付ける。しかし、自傷の大部分は隠れて行うものです。他者を意識するのではなく、人の助けを借りずに孤独に対処しようとするのが自傷の本質ですから。

でも、だんだんと、エスカレートしてしまい、そのうち、服で隠れない場所をうっかり切ってしまったり、深く切りすぎて出血が多くなってしまうことがあるんですね。自傷をみると、他者はびっくりしますよね。でも、その様子に本人もびっくりするんです。「私はいてもいなくてもいいような透明人間だと思っていたのに、こんなにも人にインパクトや影響を与えることができるんだ」と。本当は消えてしまいたいと思っている子たちにとって、これは大きな体験です。そこから、自分の存在を確認するために、他者の反応を意識する自傷に変化してしまう人もいます。

――見える自傷は氷山の一角で、見えない自傷が沢山隠れているんですね。自傷の本質はこっそりするものだと。

松本:もちろん、「他の人もやっているから自分もやってみよう」という動機の人もいます。でも、そういう人は、我々精神科医が関わるとすぐに自傷が止まりますし、自分のつらいことをちゃんと次の面接から言えるようになるんです。わりと治療が簡単なことが多いのです。

ですが、苦しいことがあるたびに、心にふたをするように自傷をしてきた人たちは、なにに困っているのかをしゃべることができません。本人が自覚していないこともあります。彼らは怒りなどの強烈な感情に襲われそうになると、それを自覚する以前に皮膚を切っています。だから「なんで切るの?」と聞いても「暇だから」という答えが返ってきて、本人も本気でそう思っていたりするんです。その意味で、自傷する人が切っているのは皮膚だけではないともいえます。彼らは皮膚を切るのと同時に、つらい出来事やつらい感情の記憶を意識のなかで切り離しているのです。

たとえば、虐待を受けてきた子などは、怒りを表明することによって、親の攻撃性を引き出す可能性があるので、感情を隠すようになります。そうすると、ちょっとしたことで怒りを覚えた時に、芋づる式に過去に隠してきた怒りがでてきて大暴れになってしまう。だから、他の強い刺激で気をそらせることが必要になってくるのです。

「やめなさい」じゃ止まらない

――自傷をしている人が周りにいると、やはり自分もつらいですし、ついつい「やめてほしい」と言ってしまうと思います。でも、自傷を「やめなさい」と言うことは果たして、その人のためになるのでしょうか?

松本:「自傷をやめなさい」と言われるだけでやめられるなら、とっくにやめています。心の痛みを和らげるためにその方法しか知らないから自傷をしているのです。だから、やめさせたいのであれば、そもそもの心の痛みを抑える必要があります。でも、その方法は誰にも教えられません。我々精神科医だってそう簡単にはその痛みを抑えてはあげられない。

医者は精神安定剤を出すことはできますが、飲んだからといって自傷するほどの心の痛みを瞬時に抑えることはできません。同じように痛みを和らげようとすると、処方された睡眠薬や安定剤をまとめ飲みしてしまう。そっちの方がより重大な事故を起こすかもしれません。

さらに、「やめよう」なんて、達成できないことを言われると、次からは相談に来なくなったり、自傷することを隠すようになります。大事なことは「なんらかの生きづらさがあるから自傷している」ということです。そこを無視して「切っちゃだめ」と言われると、援助は始まりません。仮に「やめなさい」と言って、やめたようにみえても、歯を食いしばって我慢をしているか、嘘をついている可能性が高いので、なんの支援にもならないんです。

カッターナイフにも裏切られる

――よく「自傷している人は、結局は死なない」というようなことを聞きますが、松本先生はどうお考えになりますか。

松本:それは誤りです。最初にお話したように自傷行為は生きるためにやっていることが多く、自殺とは明確に違うものではあります。ですが、データを取ると、自傷行為をしたことが無い人に比べて数百倍も自殺の可能性が高いという報告もあります。

自傷行為は一時的に生き延びるための役には立ちますが、根本的な問題が解決しない限り、繰り返されます。しかも、繰り返すたびにより激しい自傷や強い痛みが必要になるので、どんどんエスカレートしていきますし、その中で事故が生じることもあります。その上、自傷を繰り返していくうちに、今までは耐えられたストレスにも耐えられなくなってきます。切ったらつらいし、切らなきゃなおつらい状況になるのです。

これまで、誰かに相談しても裏切られてきた。でも、カッターナイフは裏切らないと思ってしがみついてきた。それが、カッターナイフにも裏切られるようになってしまった。そんなときに、自殺のリスクが急激に高まります。あっという間に死にたい気持ちに頭が支配されてしまうからです。

先ほど、自傷は「自殺以外の意図」があると言いましたが、小学生が行う自傷の場合は本気で死のうとしている場合があります。子どもは大きな病気やケガをしたことがないので、どのくらい切ったら死ぬのかよくわかっていません。人間は10代の半ばまで、2~3割が「人は死んだら生まれ変わってくる」と信じているそうです。したがって、行き詰ったら一回死んで生きなおせばいいとファンタジーのような考えを抱く子がいてもおかしくはありません。

その中で、「この程度では死なないんだ」ともっと危険な方法で自分の身体を傷つける子も出てきますし、切ったら死にたい気持ちが収まったと自傷を繰り返す子も出てきます。どちらにせよ、自殺のリスクが高いことには間違いないでしょうね。

伴走することが力になる

――自傷をする人には、どのような治療法があるのでしょうか。困っていること根本を解決するのですか。それとも、自傷以外のストレス解消方法を見つけるのでしょうか。

松本:両方ですね。困っていることが直ちにわかれば、対処することができます。しかし、なにに困っているのか本人が言わない、そもそも把握さえできていないことが多いです。自傷する人は、皮膚だけではなく、辛い出来事や感情の記憶も切っているんです。

ですので、原因がわかるまで、「じゃあ、切りたくなる前にこういうことをやってみよう」と自傷以外の置き換えを提案し、時間稼ぎをすることがあります。しかし、辛い状況が続いているならば、それだけでは止まりません。かと言って、「止まらなくてダメだね」と私たちがあまりに言うと、自分を攻めてしまって、ますます止まらなくなります。

私たちは、いろんな提案をしながら、ちょっとした進歩やそれでもめげずに続けていくことを評価して、本人の自尊心を高める努力をします。「この人は否定せずに私のいいところを引き出してくれる」という体験が本人に蓄積されると、少しずつなにがつらいのか言ってくれるようになるのです。そうすると、様々な支援資源にもつなげやすくなりますし、置換スキルも向上していきます。

――置き換えの提案は具体的にどのようなものなのですか?

松本:よくあるのは、冷たい氷を握るものです。冷たさを伝える神経と痛みを伝える神経が一緒なので、ぎゅっと握ると区別がつかない。ただ、私も患者さんに試したことがありますが、あまり評判が良くないですね(笑)。

――氷を準備しないといけませんからね。

松本:ええ、外出先で困りますよね。釣り人のようにアイスボックス持ち歩くわけにはいきませんし。他にも、ぬいぐるみを殴るとか、手にはめた輪ゴムをはじく方法もあります。でも、激しい対処法はエスカレートして興奮してしまうこともあるので、気持ちを落ち着かせるような深呼吸やマインドフルネスのようなエクササイズを提案することもあります。これも難しくて、自傷したくなるときに深呼吸をすると、過呼吸になることがあるのです。ですので、まずは一番落ち着いているときに練習をしてもらって、上手になってきたら、危ないときに試してもらうことが多いです。

また、血を見るとほっとする人もいるので、赤いフェルトペンで腕を塗ってもらうこともあります。絵の中で手首を描き、絵の中で切ってもらう方法も取り入れていますね。ただし、それらはあくまで時間稼ぎです。別の方法をチャレンジしていく中で、医者から評価され、本人が自分の中で自分をコントロールできる感覚を持つことこそが大事なんです。

というのも、自傷する人は自分をコントロールすることが大好きなんですよ。コントロールできなくなって自傷をするのではないんです。いじめられても泣いちゃダメ、感情を出しちゃダメと思って、限界まで我慢していくうちに、皮膚を切ると自分をコントロールできることを発見する。そうして自傷にはまっていくんです。

しかし、自分をコントロールするために自傷しているはずが、次第に「次はいつ切ろう」と自傷にコントロールされている自分に気が付くのです。ですから、「あなたは自分の状況や環境をコントロールできています。しかも前よりも身体にいい方法で」ということを私たちは教える必要があるのです。

いつも、伴走してくれる人との関係性が長く続いていくことが、本人の力になって自傷を手放すきっかけになると思うんです。治療に特効薬はありません。地道にやっていくことしかないのです。

傷は戦士の証

――治ったあとの傷跡については、どのようにされる方が多いのですか?

松本:傷跡は少し残る方もいて、夏場になると日焼けして白く浮き上がるのが嫌だと言う人もいます。でも個人的には傷をなにがなんでも治すことを勧めていません。というのも、傷がきれいになりかけると再発するんです。「傷が治ると切りたくなる」という子もいます。

私はときどき、傷はおまじないだなぁと思うことがあります。文化人類学などでも、昔は病気が治らないときに、おまじないとして傷をわざとつけ、墨を入れ、痕跡をつくる風習が各地にあったと言われています。痕跡は、昔傷があったのだけれど、いまは癒えて回復しているというメタファーなのかもしれません。

10代のときに切った傷が30代までうっすら残っている。それは、その人が疾風怒涛の戦いをした戦士の証で、いま死なずにいるのは、戦いに勝ったということです。その事実を誇らしく思っていいのではないかと私は思いますね。(後編に続く
(聞き手・構成/山本ぽてと

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