死に至る虐待は母親に多く、日常的な虐待は父親に多いというデータ
最初に虐待に関するデータを見てみましょう。
日本では2000年に「児童虐待の防止等に関する法律(以下「児童虐待防止法」)が制定されました。厚生労働省の報告によれば、2014 年に日本全国の児童相談所に寄せられた児童虐待相談対応件数は88,931件で、統計を取り始めた以降、過去最多となっています。また、虐待死件数は心中以外の虐待死が36例、心中による虐待死事例は27例となっています。衰弱死の危険性など、重症事例については18例の報告がありました。
厚生労働省の「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第9次報告)」によれば、心中以外の死亡事件に関しては、0歳児以下が全体の43%となっており、死亡につながった虐待の種類は、身体的虐待が65.5%、ネグレクトが27.6%となっています。また、主たる死亡事件の加害者は実母が56.9%で、実父の19%と比べても多く、加害動機は「しつけのつもり」が17.2%、「保護を怠ったことによる死亡」が15.5%となっています。
一方、平成26年度の児童虐待及び福祉犯の検挙状況は、698件となっています。ここで検挙されている児童虐待事件には身体的虐待、性的虐待、怠慢又は拒否、心理的虐待が含まれています。加害者を見てみると、父親等が546件(実父298件)、母親が173件(実母158件)となっており、父親による虐待が顕著に多いことがわかります。父親による虐待の中では傷害157件が最多、ついで暴行84件となっています。
死に至る虐待は母親に多い一方、日常的に行われている虐待は父親に多いという点が特徴的です。「頑固親父」「雷親父」などといったイメージが、「しつけをしっかりする父親」「態度で教える父親」としてポジティブに受け止められることも少なくない中で、丁寧に言葉で子どもを諭すことのできない父親が、手をあげたり、子どもに辛く当たったりするのを許してしまう雰囲気があることも影響しているように思います。
考えるべきは「しつけ」と「虐待」の境界線
ここで、あらためて、しつけと虐待の境界線について考えてみたいと思います。
人権問題や子どもの心理的発達などの専門的議論・知見から、しつけと虐待の境界線を考える研究者の間でも児童虐待の定義は様々です。殴る、食べ物を与えないなど、数十項目の行為について「この行為は虐待か? しつけか?」という質問を保護者に対して行った研究もいくつもありますが、「この行為はしつけ」「この行為は虐待」と線引きを行うのは難しく、実生活でしつけと児童虐待の境界線は保護者にとってかなりあいまいなものです。一方で、「けがをさせる」「大声で叱る」「殴る」などは、どの調査においても、大多数の保護者が虐待になると認識しています。
ただし、私たち大人が、実生活の中で注意しなくてはならないのは、こうした「明らかに虐待である」と多くの親が考える項目ではなく、親が「虐待」「しつけ」の判断で迷ったり「どちらともいえない」と考えてしまう行為でしょう。
たとえば、ニュースなどで「パチンコのために子どもを長時間、一人で自動車に乗せたままにした結果、熱中症で死亡に至った」というようなケースについては、親たちは「虐待である」と判断します。一方で「子どもを連れて買い物にいったが、子どもが車の中で眠ってしまい、起こすのがかわいそうなので子どもだけを残して買い物にいった」場合には、約半数の親が判断に迷うという研究結果があります。しかし、親たちが買い物に行っている間に、子どもが熱中症になるケース、誘拐されるケースなどが十分に想定されるため、実際には後者もネグレクトに該当するケースではないでしょうか。
このように、多くの人が判断に迷う行為では、保護者が判断を誤り、子どもを危険にさらす可能性が高まります。今回の北海道の事件も「しつけ」「虐待」の判断を誤ったケースでしょう。