「ドS彼氏」は人間じゃない!? 何者でもないオンナノコの成長物語『GIRLS』

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男性を人間として描いたリナ・ダナムの『GIRLS』

『SATC』から10年が経ち、同じHBO制作の新たな女性像を描くドラマが現在米国で大ヒットしている。現在シーズン5が放送されている『GIRLS』だ。ジャド・アパトーに見出され、脚本・演出・主演の三役をこなし20代という若さで初のドラマシリーズを大成功させたリナ・ダナムはまさに「何者かである」才女だ。この作品のメインキャラクターである作家志望で頑固者のハンナ、優等生で美人のマーニー、夢見がちな女性大生ショシャンナ、奔放でアーティスト肌の美女ジェッサの4人に共通するものは、いまだ何者でもなく、何者かになれそうでなれずにもがき続けていることだ。

ハンナはe-bookで本を出す企画が持ち上がるが頓挫、GQで雇われライターになっても、著名作家の登竜門である名門アイオワ大学院の創作コースに合格しても、そのチャンスを自ら手放して、現在は公立校の非常勤講師を務めている。マーニーは勤めていた画廊をリストラされ、くすぶりながらも昔からの夢であった歌手活動を始め、色男デジとデュオを組んで評価を受けるが、彼女持ちのデジの二番手にされてしまい釈然としない日々。ショションナはNY大に通う真面目な大学生であったのが、単位を落とし留年。仕事に何を求めるかわからないまま大企業狙いの就活で苦戦中。

中でも、若い女の、自分はまだ「何者でもない」苦しみを秀逸に表現していたのはジェッサのエピソードで、これを見て私はリナ・ダナムの才能を確信したのであった。ジェッサは高等遊民を気取って世界中を旅して廻り、その美貌と猫のような不遜な態度で男たちを翻弄する。大学の美術科を中退しているため就ける職はベビーシッターくらいだ。だがジェッサはそんな自分に引け目などまるで感じてないかのように自信満々に過激でやや的外れなご高説を周囲に垂れるのである。

その彼女がベビーシッター先の母親の前では様子がおかしい。妙にシュンとしておとなしく文字通り借りてきた猫のようになる。その母親は容姿こそ地味であるが、短編映画監督の仕事で成功し夫と二児の家族を養っている、まさに「何者かである」女性だった。あたかもその反動であるかのように、ほぼ無職であるその夫に対しては、ジェッサは余裕たっぷりの態度だ。彼が女としての自分に惹かれていることをよく知っており気があるそぶりをして楽しむが、彼が中年にもなって「何者にもなれない」苦しみをいざ吐露するとみじめな彼の姿に自分を見たような気持ちになりそれを受け止められない。

ジェッサにとって耐えられないことが起こったのはその後である。ジェッサと夫の関係を知った妻が、怒りをぶつけてくる代わりに、彼女を憐れむ目で見つめ「なぜ自分がトラブルを起こすか知ってる? 本当の自分から逃げているからよ。理想的な自分じゃなかったとしても、もっと真剣に生きれば変わるわ」と語りかけるのだ。その言葉を聞くジェッサの表情はまるで深く傷ついた少女のようだった。その直後、彼女は知り合って間もない、ダサめのしかし若くしてリッチな金融ディーラーと電撃結婚する。すでに「何者かである」女が「何者かになりたい」ともがく女に「そうなれなくても人生は生きる意味があるのよ?」と教え諭すことはひどく残酷な復讐だ。その敗北感を拭い去ろうとするかのようにジェッサはてっとり早く結婚を選んだ。「何者かになる」ほど特別な人間になれないのならば、誰かの特別な存在になることが容易い逃げ道であるからだ。

これは「何者かである」女たちばかりが出てくる『SATC』では決して描けない物語である。あの世界でこの構図は、“未婚女性と既婚女性の対立”としてしか捉えられないだろう。しかしリナ・ダナムが描いた「何者でもない/何者かである」という構図は性別を超えて起こりうるものだ。そしてこれは、男性を内面を持たない「他者」にしない、女性を何を考えているかわからない「別の生き物」にしない、人間としてお互いを分かり合える構図でもある。

リナ・ダナムが描く構図が性別を乗り越え、それぞれの性を「人間」として描いている証拠として、ジェッサとは全く違うタイプでありながら、同じ苦悩を抱えている男性登場人物を紹介しよう。

20代の登場人物が多くを占める中でいまだモラトリアム続行中のカフェの雇われ店長である30代男レイという人物がいる。彼は高い知性を持ちながら、世俗的なものをけなしまくり、いつまでも人生という舞台に乗り出そうとしない。ブルックリンで芸術家たちに囲まれることで満たされた自尊心を無傷のままでとっておこうとするこの男は、それゆえかまだすれていないショシャンナにも、どっぷりセックスに浸りあったマーニーにも真につきあうに値する男としては結局選ばれないのだ。

年を取って諦めることだけは得意になったレイは平気な顔をして日常を過ごしていたが、あるとき信号配置のミスが原因で頻繁に起こる家の前の交通渋滞を町議会に訴え、それをきっかけに行政に問題を感じ、町議会議員として立候補、見事当選を果たす。現実の自分に向き合うことを恐れ何も始めようとしなかった男が、自己に「変革」を希求しとうとう地に足がついた人生の第一歩を踏み出したのだ。

レイをショシャンナの“バービー人形の恋人・ケン”としてだけでなく、内面や未確定な可能性を持つゆえに成長もする「人間」として描いたリナ・ダナムは、まさに新世代の作家である。

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