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「ドS彼氏」は人間じゃない!? 何者でもないオンナノコの成長物語『GIRLS』

【この記事のキーワード】

「何者かである」ことよりも価値のあること

男性を「人間」とみるからこそ生まれる成長の可能性がある。

エキセントリックで身勝手でハンナを性欲の捌け口のように扱っていたかに見えた恋人のアダムが初めて内面を見せたのは、従来の女性ドラマではあまり見られなかった切り口だった。

友人たちには周知の事実だった、アダムが長年、断酒会に通っていることを知ったハンナは「なぜ(彼女であるはずの)私に大事なことを話してくれないの」と彼を責める。するとアダムは「お前が聞かないからだ! お前、俺のことは全然興味ないだろ! お前が興味あるのは、自分が俺にとってどんな存在であるかだけだ!」という意味のセリフを吐く。この時、「女にとって男は生まれついて『他者』であるわけではない、女が男を『他者』として扱うから男は『他者』になるにすぎない」という事実をリナ・ダナムはこちらに突き付けている。男だって内面を持っている。しかしこと恋愛になると女は男を映し鏡にして自分がどれだけ愛される価値のある人間かということばかりを覗こうとする。だから相手の人間性が見えてこないのだ。

それ以降、ドラマの中のアダムの人間性はがらりと変わる。別人ではないかというくらいハンナに向き合い、自分の意見を表明し、非常識な出来事には動揺する。だがこれはアダムというキャラクターが変化したのではなく、ハンナのアダムに対する見方が変わったことを示しているにすぎない。謎だらけのよくわからない男だったのが、自分を愛しているかいないか吟味するためのフィルターを外した途端、その内面が見て通せるようになったのだ。

冒頭で、なぜ「ドS彼氏」が人気なのだろうか、と書いた。逆説的ではあるが、凡俗さや迷い、逡巡といった普通の人間としての内面を見せず、相手を支配する強さのみ見せる男に少女たちが心惹かれるのは、彼の中に被支配という形で愛されている自分をうっとりと見つめるためなのではないだろうか。自分を特別な男に愛されるに値する存在だと考えるためには男の凡庸な内面などむしろ邪魔でしかない。

『GIRLS』の4人の女の子たちは今も何者かになろうともがいている最中だ。その取り組みはお世辞にも恰好のいいものではなく傍から見ていると紆余曲折が過ぎて彼女たちが何を求めて格闘しているのかわからなくなるほどだ。でもその過程で彼女たちは少しずつ人生を学んで行っている。ハンナがアダムとの恋愛を通して男を他者にしていたのは自分自身であったことを知ったように、マーニーは見かけ倒しの男デジといることで逆に自分ひとりの足で立つ経験を積んだ。ショシャンナは元彼レイの地道な選挙活動を見て就活の対象をベンチャー企業に変え、新天地東京で生活を始める。ジェッサは皆がパニックに陥る中、アダムの姉の出産トラブルを的確に解決しそこに自分の能力を見出す。

最終的に彼女たちが「何者かになれる」かどうかはまだわからない。しかしたとえその終着点が彼女たちの心に描いていたものそのままでなくても、その過程で見るであろう様々な風景はきっと人生を生きるに値するものだ。少女たちよ、あきらめずもがくのだ。もがきながら見る風景は空虚な他人の心の中に映る自分の姿よりも広大で豊かで、その中には思ってもみなかった多くの発見があるに違いない。『GIRLS』を見ていると、その時手に入れたものは「何者かである」ことよりももっと価値ある何かなのだと思える。
パプリカ

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