エンタメ

男はなぜ枡野浩一の言葉に苛立ちを感じるのか? あぶり出される「嫉妬と脅威」

【この記事のキーワード】

本書によってあぶり出された“男らしさの呪縛”

 本書は基本的に、著者による独白というスタイルで進んでいきます。テンションは全体的に低めで、優れない体調、金銭的に余裕のない生活、12年前に経験した離婚の記憶、生き別れになった息子への思慕、同業者に対する嫉妬、エゴサーチで見つけたネガティブなコメントへの反論、自分と外界との間に生じてしまうズレ……などなど、愚痴ともぼやきとも取れる独白を、「め」の字が打てないキーボードで淡々とつづっていきます。

 本書のテーマは「男らしさ」です。枡野さんは本の中でmessy編集長に「男らしくない(のが枡野さんの良いところ)」と明言されているし、AV監督の二村ヒトシさんとは「男らしくナイト」というニコ生番組をやっています。

 愚痴や弱音を平然とこぼし、さらに男性性の象徴と見なされている「勃起能力」も不全状態に陥っている枡野さんが、思ったこと・考えたことをただひたすら独白していく。それによって「男らしさ」を逆照射しようというのが本書のコンセプトではないかと思います(著者はどこまで意識しているかはわかりませんが、この連載を企画したmessy編集長にはそういう意図があったはずです)。

 ただ、本書を読んでも「男らしさ」について学びを得られるかはわかりません。なぜなら、「男らしさ/男らしくなさとは○○である」といったような直接的な考察や分析が展開されているわけではないからです。その代わり、この本を読むと自分の中のジェンダー観がいつの間にかあぶり出されてしまいます。私が最も魅力を感じたのは、この点です。

 私は最初、この本を読みながら苛立ちのような感情を覚えていました。「男のくせにぐだぐだ言いやがって!」……と思ったからではありません。

 私は女性たちの恋バナ(主に愚痴や悩み)に耳を傾けるという活動を15年続けていますが、その経験を積むことで自分の中に、ミサンドリー(男ぎらい)のような感覚がどんどん強くなっていきました。女性たちの苦しみの裏側には男の甘えや無神経、無知やプライドといったものが毎回べっとりと貼りついており、そんなものは今すぐ焼き捨てた方がいいと痛感させられるからです(現在の桃山商事の連載も、旧連載も、そのあたりをテーマにしています)。

 だからむしろ、〈多数派の男の基準からずれている〉と自認する枡野さんには興味津々だったはずなのに……なぜ苛立ちを感じたのか。

 それは、自分よりも著者の方がずっと“男らしさの呪縛”から解放されており、そのことが羨ましくて妬ましくて仕方なかったからです。つまり私は、自分と枡野さんを勝手に比べ、勝手に敗北感を抱いていたにも関わらず、その感情から無意識に目を背け、原因のわからないままネガティブな感情を発生させていたというわけです。

 実は競争心や嫉妬心に苛まれていただなんて、思いっきり男らしさの呪縛にハマり込んでいる証拠ですね……。ガーン。私はまったく解放されていなかった!

1 2 3

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。