女なんか大嫌い。父の世話を焼く母をも見下した少女戦士の陶酔とミソジニー

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ナガコ再始動

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 私という女の心の中には、巨大な男根がそそり立っている。連載初回では、その男根の正体である「父由来のマチズモ」の説明をしたうえで、自分の問題の焦点付けの重要性について述べた。さて、本題はこれからだ。

 「父由来のマチズモ」は、女性および女性性との相性が、すこぶる悪い。父から娘に伝承された言葉の中でも、娘が他者、特に男性を侮辱する目的で頻用した差別用語が「女々しい」である。この言葉は、女を心底馬鹿にしている男性優位主義、男尊女卑の象徴、いわくマチズモの権化だ。

父の女性観

 父の口から、直接的に女性を卑下し、口汚く罵る言葉を聞いたことはなかった。が、やたらと「男たる者」の美学を誇示するあたり、自分が男性であることのプライドや優位意識に執着していたことは間違いない。あるいは、それが彼のコンプレックスであったとも考えられる。なぜなら、彼は姉2人を持つ末っ子長男で、その母(私の祖母)は髪結いの師匠として自宅で美容院を営んでおり、女性のお弟子さんもたくさん出入りする「女だらけの環境」で育ったからである。家庭には父の父(私の祖父)もいたが、日中は仕事で外に出ているため、父一人が家中にいる唯一の男としてたいそう可愛がられ、女たちの姦しい干渉にうんざりしながら毎日を過ごしていたと聞く。

 そんな父の境遇を思えば、男性率の多い家で育った者と比較して、女に幻滅したり嫌気がさしたりする機会は格段に多かっただろうし、反動より「男気溢れる世界観」に執着するに至ったと考えることも無理筋ではない。ちなみに、父が授かった子どもは私と妹の2人姉妹だ。男子の誕生を望んでいたそうだが、ままならなかった。

 父は、男系の仲間を欲し、第一子である私に「男同士のマッチョな付き合い」を求めたのか。あるいは、長女を疑似長男と看做すことによって、己の「男たる者」の遺伝子継承を目論んだのか。すでに父は亡くなっているので、真相を確かめようがないのだが、彼が、女性として生まれた娘の人間性の尊重よりも、自己都合による「男気」の移植に執心した事実は揺るぎない。結果的に彼は、最愛の娘と公言して憚らなかった私を通じ、女性および女性性を侮辱したこととなる。

 ところが、当の私に侮辱された意識はなかった。むしろ「女子どもが容易には介入できない」とされている男気の世界に、女子どもの分際で介入している自分に特別意識をもった。誇らしかった。いわゆる「名誉男性」と呼ばれる女性の心境だろうか。己の男性性に優位性を感じた。そして、女を嫌い、夫唱婦随の精神で父の世話を焼く母をも見下した。

 私は自分を生んでくれた母さえも「父由来のマチズモ」のフィルターを通して見ていた。つまり、私は彼女を、己の男根バイアスを根拠に侮辱してきた。その詳細については、長くなるので機を改めて述べたい。本稿では、あくまでも他者である女性総体の認識について記す。

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