普遍的なラブストーリーの中で、なぜ同性の恋愛だけが制裁を加えられるのか『ブロークバック・マウンテン』

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制裁はなぜ行われないといけないのか

この映画が、「普遍的な恋愛映画」では終わらないのは、世間は男と男の関係性に対して、普遍的な男女のカップルと同じ態度ではいてくれないことをあぶり出しているところにあります。

イニスとアルマは、イニスの不倫がきっかけとなって離婚してしまいます。男と男の関係にまずNOを突き付けたのは、妻のアルマでした。彼女は、イニスとジャックが4年ぶりに再会したその日に、二人の関係性を知ります。しばらくはそのことを胸に秘めていた彼女でしたが、結局二人は離婚します。ここまでは、男女の不倫関係にもあることです。

ところが、この映画の中には、男と男の関係には、さまざまな制裁があるということが描かれています。それは、なにもイニスとジャックにだけ向けられるわけではありません。

例えば、イニスが語る昔話に出てくる男たちが象徴的です。イニスはかつて父親に、牧場暮らしをしている男二人が、町の笑われ者となり、やがて男の一人が、無残な姿で殺されているところを見せられたことを語るシーンがあります。ここには、イニスの父親の、説明しがたい恐怖が描かれていると思いました。そして、その恐怖は「芽」として描かれていると思うのです。

原稿を書くにあたって、ネット上にある過去の感想などを一通り見てみました。ある感想の中に、イニスとジャックはいつからお互いを意識したのか、そして二人は最初から同性愛者だったのかということが取り上げられていました。

私は、男同士であっても、人間同士が惹かれ合うのは「普遍的」なことであり、個々人の中に「(同性愛の)芽があるか否か」ではないと思っています。ところが、それは男と男のときにだけ、世間的に「普遍的」なこととしては見てもらえない。そして、社会的な制裁が怖いから、自らの芽に気づいても抑えつけようとしたり、見ないようにしたりしようとする人がいるのです。さらに芽を抑えようとする気持ちは自分の中だけに留まらず、街の中で、その芽を見つけたときには摘み取ってしまおうとするし、花が咲いてしまったとしてもその命を奪ってもかまわないものだと思っている人がいる。そのことが、映画には描かれていました。

二人が出会うきっかけとなった牧場の主人であるアギーレも、二人の仲を知って、この関係性を摘み取ろうとします。ジャックが再び季節労働の仕事を求めてアギーレの元を訪れたとき、ジャックに、イニスとの関係性を知っていると告げるシーンがあるのですが、このとき字幕版では「お楽しみ」「妙なマネしやがって」と、吹き替え版では「薔薇の蕾を楽しむためにお前らを雇ったんじゃないんだ」と表現するのです。私は「芽」と書きましたが、「薔薇」や「蕾」という言葉と偶然にも繋がっています。「薔薇」や「蕾」という表現を使うアギーレは、「芽」を忌避する感情のなんたるかを知っているんだなと感じました。それは「ホモフォビア」だと思います。

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