普遍的なラブストーリーの中で、なぜ同性の恋愛だけが制裁を加えられるのか『ブロークバック・マウンテン』

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男と男の間に「芽」があるように、男女の間にも「芽」はあるはずです。だって、それは「人を好きだと思う感情」なだけなのですから。でも、男性は、男と男の関係性の中に、その「感情」を見てしまったときにだけ、恐怖(ホモフォビア)を抱いてしまうし、その恐怖を払拭するためならば、ときには人を制裁してもいいとまで思ってしまう人がいる。なぜ他人の関係性を放っておけないかというと、自分の中にもしその感情が芽生えたらと思うのが怖いからです。だからこそアギーレは「薔薇」や「蕾」という表現を使ったのでしょう。アギーレも、そしてイニスの父親も、その感情の「芽」が自分にもあると、ふと感じたことがあったのでしょう。

冒頭に書いた、友人との会話は、オーランドの射殺事件などは、その「恐怖」が関係しているのではないかという話だったのです。

恐怖だけでなく、救いも描かれている

しかし、この映画には救いもありました。それは、その「芽」は恐れるものではないと、ジャックやイニス以外の第三者の男性がちゃんと気づいたシーンがあったからでした。

ここからは、ネタバレになりますが、イニスがジャックの父親に会うシーンがあります。ジャックの口ぶりからは、ロデオ乗りで厳格で自分のことを認めていない父親像が浮かびますが、イニスが会ったときの父親からは、そんな強い父親像を感じさせません。それどころか、ジャックが「ブロークバック・マウンテンに撒いてほしい」と言っていた遺骨を、自分の墓に入れてもいいとすら言っていました。葛藤の末、ジャックの父は息子を受け止める気持ちになったのでしょう。

実は、イニス自身もずっと、自分の中にある「感情」をすべて受け入れているわけではなかったように見えました。だからこそ、ジャックと一緒になるという現実が想像できなかったのでしょう。でも、自分の娘が結婚を報告に来た際、娘が忘れていったセーターを畳んでいたときに、ジャックの気持ちが軽くなったように感じました。イニスはジャックが自分のシャツを大事に持っていたその気持ちと、自分が娘を大事に思う気持ちが、どちらも変わりない愛だとそのときにやっと認められたのだと思います。

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