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「勃起と射精」に拘泥する男の“性欲”と、ニッポンの「性教育」

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性的快感と心的快感。「性欲」の捉え方が狭すぎる!?

清田 これは自分自身にも当てはまることなんですが、男って自分の性欲について実は“よくわかってない”ような気がするんですよ。

村瀬 それはどういう意味で?

清田 男性の9割以上が自慰行為を経験しているし、アダルトコンテンツも充実しており、男性の多くは、エロの好みについて一家言あるはずです。でもそれってとても“消費者目線”というか、男性は「自分が外部から与えられるどんなエロ情報に興奮するか否か」という部分しかわかっていないんじゃないかと……。

村瀬 なるほど。『男子の貞操』(ちくま新書)という本を書いた坂爪真吾さんは、「男は“記号”に反応する」ということを言っていますが、それとつながる話だね。

清田 はい、同著で坂爪さんは、「(男性は)女性の身体の評価や採点、支配や売買を通して、間接的に自らの性を語ることしかできない」とも述べていますが、まさにその通りだなと。

村瀬 それを考えるにはまず、「快楽としての性」をどう捉えるかが鍵になると思います。これには2種類あると僕は考えていて、ひとつは身体的なオーガズム、男の場合で言えば射精につながるような“性的快感”(からだの快感)です。そしてもうひとつは、触れ合って、ほっとして、安心して……という心理面で味わう“心的快感”(こころの快感)です。

清田 一般的に「快楽」としてイメージするのは前者ですかね。

村瀬 そうだね。まず100%。特に男子はそちらに囚われている傾向が強いかもしれない。この性的快感って自慰行為でも得られるわけで、実は必ずしも相手を必要としないものですよね。これは何も「相手がいないから一人で」という話ではなく、恋人がいようと、結婚していようと、高齢者になろうと、相手の有無に限らず自分だけの性的快感は自分で獲得できるという意味で。

清田 村瀬先生はそれを「セルフプレジャー」と呼んでますよね。

村瀬 はい、そうです。いい表現でしょう? しかし、もう一方の心的快感は、触れ合いやコミュニケーションの中で得られるものであり、基本的に相手を必要とします。それで、ここが重要なポイントなんですが、性欲というものにはそのふたつを求める気持ちが混ざっています。

清田 なるほど……。「射精したい」と「相手とわかり合いたい」が混在していると。思うに、男性って後者の気持ちを自覚すらしていないかもですね。

村瀬 それが単なる射精欲求ならば、これはもうセルフプレジャーで満たすことでいいんですよ。そうやって生理的欲求を自己コントロールできることは、自分への自信にもつながるはずなので。逆に、そのために相手を利用するのはやめるべきでしょう。相手は射精のための道具ではないからです。

清田 “相手の身体を使ったオナニー”という表現もありますね。よくヤリチン男性なんかが「いくらセックスしても心の空白が埋まらない」みたいなことを言いますが、それっておそらく「本当は心的快感が欲しいのに、それを得られるようなセックスをしていない」ってことなのかもしれませんね。

村瀬 性欲の捉え方が狭すぎるため、そのことに気がつかないんだろうね。

清田 性欲って本来は幅広くて多様なものなのに、男性はその一部分にすぎない「射精欲求」のみを性欲と認識している。裏を返せば、心的快楽を欲しているときにも、それを自覚できず、つい性的快楽のみを追求してしまう……。そういう問題があるような気がしてきました。

村瀬 それを区別するためにまず、自分が何を欲しているのか、自分で分析できるようになることが大事だよね。ここがわからないと、相手といい関係を築きようがないわけで。「相手とじゃれ合いたい」とか、「くっついておしゃべりしたい」とか、そういった気持ちもひとつの性欲であると認識して欲しい。

清田 ホントそうですよね。願わくば、中学生くらいでそれを習っておきたかったです。つくづく性教育って大事ですね……。

後編へ続く>

■今回の先生■

村瀬幸浩(むらせ・ゆきひろ)
1941年愛知県生まれ。東京教育大学(現筑波大学)卒業。私立和光高等学校保健体育科教諭として25年間勤務。その後、1989年から2015年まで一橋大学・津田塾大学・東京女子大学で「セクソロジー」の講師を務めた。著書に『男性解体新書』(大修館書店)、『性のこと、わが子と話せますか?』(集英社新書)、『男子の性教育~柔らかな関係づくりのために』(大修館書店)など。最新刊に共著『ヒューマン・セクソロジー』(子どもの未来社)がある。

8月初旬、発売予定!

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