クリント・イーストウッドと女性映画
皆さん、クリント・イーストウッドはお好きですか? イーストウッドといえばアクションやウエスタンのヒーローで、「男性映画」というイメージがあるでしょう。この作風のため、なんだか暑苦しくて興味を持てないという人もいると思います。正直、私もそんなに大好きというわけではありません。
イーストウッドが監督する映画は男性性をテーマにしていることが多いですが、単純なマッチョ礼賛ではありません。フェミニストで法哲学者であるドゥルシネラ・コーネルは『イーストウッドの男たち――マスキュリニティの表象分析』で、イーストウッドは監督として「今日の我々が直面している最も根本的な道徳的・倫理的問題とともにマスキュリニティに取り組んでいる」(p. iv)と評価しています。たしかにイーストウッドの「男性映画」は複雑で、伝統的な男らしさに縛られた人々の葛藤などが綿密に描かれています。
一方でイーストウッドは『マディソン郡の橋』(1995)や『ミリオン・ダラー・ベイビー』(2004)など、「女性映画」ふうの作品も撮っています。しかしながらこの二作には監督自身も出演して大きな役を演じているため、完全に女性中心とはいえないところがあります。これに比べると実際に起こった事件を扱っている、2008年の映画『チェンジリング』はイーストウッドが監督に徹し、アンジェリーナ・ジョリーがひとりで主演をつとめています。ジョリーの好演もあってこの映画はよくできた女性映画になっているので、今回はこの作品をとりあげたいと思います。
奥深いヒロイン
『チェンジリング』の舞台は1920年代のロサンゼルスです。クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は電話会社に勤めながらひとりで息子ウォルターを育てています。ある日ウォルターが失踪し、警察に捜査を依頼します。「失踪から24時間は捜査しない」など杜撰な警察の対応にクリスティンは不信感を募らせます。その後、警察はクリスティンにウォルターが見つかったと言い、ある少年を送ってよこしますが、これはウォルターとは別人でした。クリスティンは「この子は自分の息子ではない」と訴えますが、腐敗したロサンゼルスの警察は聞き入れません。それどころかクリスティンは精神を病んでいると言い張り、強権を発動してクリスティンを精神病院に監禁します。ところがその後、カリフォルニア州の農場で少年をターゲットにした大量殺人が発生していたことが明らかになり、ウォルターも被害者であった可能性が高くなります。腐敗した警察の問題を指摘し続けてきた聖職者グスタヴ師(ジョン・マルコヴィッチ)の協力を受けて精神病院から出たクリスティンは警察の杜撰さを告発します。殺人犯ゴードン・ノースコットは逮捕され処刑されますが、ウォルターの遺体は確認されませんでした。ウォルターは死んでいるに違いないと皆思う中、クリスティンは息子が生きているかもしれないという希望を持ち続けたまま暮らしていきます。
この映画はクリスティンの人格を深く掘り下げています。クリスティンは息子を心から愛する優しい母ですが、母性だけに切り詰められた描き方はされていません。
クリスティンは有能な職業人です。電話交換オフィスで責任ある地位についていることが冒頭で描かれ、昇進の話も出てきます。映画の終盤でもクリスティンは同じ会社で働いていて、多くの職員を指導する地位にあることが示されています。息子が行方不明になり、警察に監禁されるという大変な状況を乗り越え、仕事で成功していたことがわかります。
クリスティンは他の女性から信頼を得ている良き友人でもあります。ウォルター発見の知らせを職場で受けて同僚から祝福される場面や、終盤でパーティに誘われる場面では、クリスティンが同僚の女性たちから敬愛されていることがわかります。またクリスティンと同様に警察に歯向かったことを理由に精神病院に収容されていた娼婦キャロルとの信頼関係はより細やかに描かれています。クリスティンはキャロルが売春をしていたと聞かされた際、(最初は遠回しな言い方にピンとこなかったようですが)差別的な態度をとるようなことは全くなく、この誠実さを信頼したキャロルはクリスティンを助けようとして病院から虐待を受けることになってしまいます。これを心に刻んだクリスティンは後に精神病院に不当収容されていた女性たちを解放します。病院から出るキャロルと無言で微笑みを交わす場面は、台詞なしに女性同士のあたたかい友情をうまく描いています。
クリスティンは芸術的なセンスがあるおしゃれな女性でもあります。終盤、クリスティンはラジオを聞きながら第7回アカデミー賞の結果を予想しますが、『クレオパトラ』は過大評価されすぎているとして『或る夜の出来事』を推します。これは映画ファンの心をくすぐる描写です。この二作はどちらもクローデット・コルベールの出演作ですが、今でも映画ファンの間で名作として人気があるのは『或る夜の出来事』のほうで、この作品は洗練されたユーモアで有名です。この場面は人生がつらくても映画を愛し、そこから楽しみを得ているクリスティンの芸術的なセンスを示唆しています。さらにクリスティン自身もクローデット・コルベールを思わせるところがある洗練された女性で、いつも落ち着いた色合いの服を着ていますが、ヘアスタイルから靴までとてもしっかりキメています。電話交換オフィスでハイヒールにローラースケートを履いて動き回る場面は当時の習慣にそっているそうですが、なんとも言えない洒落た雰囲気が漂っています。
こんなクリスティンですが、完璧超人ではなく、繊細で脆いところもあります。息子が行方不明になれば当然取り乱し、警察に不当に扱われた時にはひどく当惑しますし、病院に強制収容されれば落ち込みます。息子が生きているのではないかと最後まで希望を持ち続けるあたりも繊細さの表れと言えるでしょう。基本的には強靱な精神を持っているにもかかわらず弱さも備えているクリスティンは、人間味のあるキャラクターです。
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