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ホモソーシャルにロマンチックな絆などない『日本で一番悪い奴ら』

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空っぽな諸星と、日本社会の縮図

諸星が過激な違法捜査を行っていたのは、何かに駆り立てられたというよりも、自分の意思がなかったことに理由があるかもしれません。

諸星が警察に入ったのは、柔道部の顧問の一言がきっかけです。そのときも自ら望んで警察に入ることを選んだようには見えませんでした。そして警察に入ったあとも、最初はお茶くみや調書書きなどの与えられたデスク業務も手を抜かず、村井に「点数」のことを教えてもらってからは、点数をあげることが正義だと信じ込んで突っ走っていました。やがて諸星を「何も知らなくてかわいいと思った」というクラブのホステスとも関係を結び(それも村井に「抱け」といわれて抱いたことがきっかけでした)、銃器対策課に入ってからは、自分を「エース」と最初に認め、自分を「いい女」にしてくれるという期待から近寄ってきた同僚警官の女性と恋愛に至ります。諸星が動くのは、組織の要望と周囲の人の期待によってだけなのです。

村井から刑事として荒々しい振る舞い方=ステレオタイプな男らしさを継承した諸星ですが、かつては「公共の安全を守りたい」と理想に燃えていました。映画の終盤に登場する、「刑事になったのは市民の安全を守るため」と何の疑いもなく答えられる新人刑事の小坂に、かつての「何も知らなくてかわいかった」頃の諸星の姿がオーバーラップします。でも、小坂に村井や諸星の振る舞い方は継承されないどころか、諸星は小坂から手錠をかけられることによって刑事人生を絶つことになりました。

村井から受け継がれた古い男らしさが、小坂には受け継がれなかったのは、もはやその男らしさが現代の若者である小坂には響かなかったということもあるでしょうし、見た目ではピュアに見える小坂のほうが、諸星に比べて冷静で芯があったということもあるでしょう。

諸星は、自分がないからこそ、信じられる何かが欲しかったのでしょう。信じて頑張って初めて評価が与えられる。だからこそ、どんなに悲惨な状況になっても、銃器対策課でやってきた組織ぐるみの違法捜査は、正義のもとにあったと信じて疑わない。組織を信じなければ、自分の存在価値がなかったことになってしまうからです。最後の最後まで、警察組織に希望を持ち、自分が第一線に戻ればまた輝ける、エースになれると信じている諸星の顔を見ていると、恐ろしくも、悲しくも感じました

これはかつての終身雇用と年功序列の日本型経営の恩恵を受けてきた真面目な男性たちにとっても、男性を労働の功績で判断してきた女性たち(「エースは自分をいい女にしてくれる」と信じた同僚女性警官と同じです)にとっても、他人事ではありません。この映画は、警察内部のことを描きながら、これまでの日本社会全体を描いたものでもあるでしょう。最初と最後に象徴的に登場する日の丸がそれを物語っているように見えました。
(西森路代)

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